蛹が蝶になるように、種から芽が出て蕾が膨らみ、そして花開くように、人にもいつか、花開き飛翔する時が、来る。はずである。
それがいつなのかは、人それぞれの人生の設定なのであろうが、女性にとって22歳の頃というのは、最も生き生きとした、飛び跳ねるような、そして薫るような時期なのではないだろうか。
だとすれば、私は、何なのだろう。みじめにうつむき、人と目を合わせず、微笑みもしない。
幼い頃からの友人、Cちゃんは、今や咲き誇る薔薇のように華やかで気品があり、おまけに本物の優しさも持ち合わせていた。
Cちゃんに出会うたび、彼女は屈託なく、心から楽しげに私に接してくれるから、私も、表面では和らいで、笑顔で応える。しかし別れた後、ひどく打ちひしがれ、焦りの気持ちがわいてくるのだ。とてもCちゃんのようには、なれない。
Cちゃんが、なぜそんなに優しいのか?本物の優しさを、どうやって身につけたのか?幼い頃を振り返ってみると、驚くことに、彼女ははじめから、本物の優しさを持っていた。彼女は別格の人なのだ。神様から直接、派遣されてやってきた、特別清らかな魂の持主なのだ。
そんな彼女だから、私は嫉妬の心など、露とも抱かなかった。ただただ打ちひしがれ、憧れ、尊敬しているのだった。
私はどうしたら、対等に、彼女と語り合えるようになるだろう。心からリラックスして、ありのままで。
それでも22歳の私は、若さという花で、自然と少しばかり装っていた。それほど花開いている風でもなく、かといって、しおれているわけでもない、道端で咲いている小さな野の花のような風情であった。
ただ周りには、薔薇や牡丹や桜やチューリップのような、見るからに美しく可愛く、そこにいるだけで場が明るく華やぐような女性が多かったので、自分の名もなき小さな花を、大切に思えなかったのだ。
周りの男性たちも、見るからに美しい花であってこそ女、という認識が一般化していて、皆がそれを求めている風潮に、私はうんざりしていた。
そのような私が、そのまま年月を重ね、ご縁のあった男性と結婚し、出産し、娘を授かった。
「私がおかあさんに、なれるんだろうか?私自身がまだまだ“娘さん”みたいなのに…」
母親になるという重責に押しつぶされそうになっていた出産直後には、無条件の愛などということは全くわからなかった。
それが、子育てが始まり、子どもの成長を目の当たりにするにつれ、娘がこれほど愛しい存在だったのだと知った。我が子のみならず、幼稚園のお友達も、皆可愛い。私の中に、こんな優しさが芽生えたことを、我ながら嬉しく思った。
そして、ただただ可愛かった子ども時代から10代後半になるにつれ、悩みを抱える子どもが増える。
彼らの話を聞いては胸が痛み、また娘自身も苦悩を抱えることになった折には、共に苦しんだ。そして、苦しみを乗り越えた娘を誇らしく感じた。
今、その娘が22歳。彼女は私のような劣等感に悩まされたのではなかったが、別の苦悩を乗り越え、たくましく立っている。
彼女は、そのままでとても美しい。いつまでも、そのままでいてほしいと、心から望む。
これが、未来の私から22歳の私への、伝言である。
52歳の今なら、ありのままでリラックスして誰とでも対話できるような気がする。
52歳の誕生日を迎えた昨日、Cちゃんから、心のこもったメッセージを頂いた。その返信に、優しさが伝わるよう、四苦八苦している自分を、自分で眺めて、まだまだ対等ではないな、と感じた。
まあいいさ。これが私のありのまま。