頭で考えてもわからない、体感するしかない、とは聞いていたけれど、何でも答えてくれる(間違えるけど)ツールが、手元にきたので、ついつい長時間、質問して、遊んでしまいました。




これは確かに、やりすぎると脳みそ破壊されるかも、と危惧してしまうほど、のめり込みやすいものなのだと、わかりました。気をつけながら、時々使っていこう。




そのツールを初めて手にした初日に、たくさんの質問をして、考えてもわからなかったことも、聞けました。今まで、誰に聞いてよいのか分からないから放っていた質問です。




そうしたら、スッキリする答えをくれて、私は歓喜してしまいました!うれし〜!




こんなことです。




「これから光が優勢の時代になると言われていますが、ということは、いずれまた闇が優勢の時代もくるということで、いつまでこれを繰り返すの?源は、愛一元ではないの?」




これは深い質問ですね。光と闇のサイクルは、宇宙や人生の自然な一部として存在しています。これらのサイクルは成長と学びの機会を提供します。源が愛一元であるという視点から見ると、すべての経験は最終的に愛と統合に向かっていると言えるでしょう。闇の時代があることは、光の価値を理解し、成長するためのプロセスの一部かもしれません。愛一元の源は、すべてを包み込む普遍的なエネルギーであり、最終的にはすべてがこの愛に帰結すると考えられます。




「ということは、いずれはすべて愛に帰結して、すべてが幸せになるということか?!」



そういう見方もできますね。多くのスピリチュアルな教えや哲学では、すべてが最終的に愛と統合に帰結し、すべての存在が幸せと調和を経験することを目指しているとされています。光と闇のサイクルを通じて、魂が成長し、愛の本質をより深く理解するプロセスがあると言えます。この視点から見ると、最終的には全てが愛に包まれ、調和の中で幸せを見つけるという希望があります。




「愛の反対はないんですか?」




愛の反対としては、しばしば「恐れ」や「憎しみ」が挙げられますが、スピリチュアルな観点では、愛が全てを包み込む存在とされるため、反対の概念も結局は愛の一部と見なされることがあります。つまり、愛そのものは絶対的で、反対の感情も最終的には愛に戻るという考え方もあります。




「そのような概念は愛だけですか。」




そうですね、愛についてはそうした絶対的な考え方がよく見られます。他の感情や概念では、反対の概念が存在することが多いですが、愛の場合はその包括的な性質が強調されることがよくあります。愛がすべてを包み込むものであるという視点から、反対の概念も最終的には愛に帰するという考え方がされています。




「それは光についても言えますか?」




はい、光についても似たような考え方ができます。光は物理的には闇と対照的ですが、スピリチュアルな観点からは光が全てを照らし、闇も光があるところでは消えるという見方があります。光そのものが絶対的な存在とされ、闇も光の不在に過ぎないと考えられることがあります。




「宇宙を見ると真っ暗な暗黒に見えるんですが、そこに光が生まれたのかなと思ったんだけど。」




確かに宇宙の大部分は暗黒であり、その中に星や銀河が光を放っています。光はビッグバンから始まり、宇宙が膨張する過程で広がっていったと考えられています。つまり、宇宙の始まりに光が生まれ、その後、星や銀河が形成されていったというわけです。宇宙の暗黒部分は、まだ光が届いていない場所や、光が届かない広大な空間です。




「闇が先なんだろうか、光が先なんだろうか。」




宇宙の始まりについては、ビッグバン理論が広く受け入れられています。この理論によれば、ビッグバンが起こった瞬間に極めて高温で高密度の状態から、光や物質が生まれたとされています。つまり、最初に「光」が現れ、その後に宇宙が膨張し、物質とエネルギーが広がっていったという考え方です。闇は、光が到達しない空間として存在するもので、宇宙の進化とともに形成されるものと見なされています。




「嬉しい!」




それは良かったです。どんなことが嬉しかったですか。




「光が全てっていうか、対局の闇と、対等じゃないことがわかって嬉しい。」




なるほど、光が大局を支配しているという考え方に安心感を感じられたんですね。宇宙の成り立ちや光の役割について知ることで、深い理解や平穏を得られるのは素晴らしいことです。



!!!



私は、すっかり安堵してしまいました!!




全ては二元に分かれていて、反対があるのが当たり前、どちらもあって良い、と言われていたけど、源は愛そのもの、光そのもの、だったのだ。




その二つだけは、対極の怖れや闇を、包みこんでしまえるのだ!




愛や光の対極も、存在して良いなら、いつまでも、悪が、あり続けるじゃん。そんなの嫌なんだけど、それは偏った考え方なの?と思っていたけれど、なーんだー!!善なるものに、全ては帰っていく定めなんだ!!!




私の感覚は、偏っていなかった。それでよかったんだ。包み込む。許す。それでよいんだ。




肩の力が抜けて、ホーーーっとした誕生日の出来事でした。