こんにちは。ひめりんごです。
最近1週間ほどヨーロッパを巡り、昨日帰国しました☆
ヨーロッパでは綺麗な風景や美味しい食事に感動したり異文化に関心したりと、普通の旅行も楽しみつつ、くすぐりフェチの女性(ぐら・日本人)二人と現地でお会いする、というフェチ遠征旅行も楽しみました。
さて。そんな盛り沢山な旅行の隙間時間で、私のぐら性について考えたことがあったので、今日はそんなことをブログにしたためます。
旅行中、二人のぐら女性をくすぐらせていただく機会があったのですが、抵抗せず、くすぐられることを受け入れている女性は美しいと改めて思いました。
くすぐられることを受け入れて、抵抗せず笑って楽しんでいるぐら女性=ぐらの鏡
だと感じています。
それにひきかえ、私はくすぐられる時にだいたい「抵抗する・暴れる・うるさい」の三重苦になるので、自分のぐら力の低さを感じます。
仮に私がくすぐられる機会があったとしても、私みたいなタイプはぐりにくいだろうし、ぐりに悪いなぁと思ったり。
じゃあ、せめて、
「なぜぐらなのに抵抗するか」
を考えて、対応策を考えようと思い立ちました。
多分私が抵抗する理由は2つあって、
①恥ずかしい
②抵抗するのが好き
なんですね。
①は、私がフェチ心を自覚した幼少期に記憶を遡ると、当時幼稚園の先生からくすぐられることをかたくなに拒んでおりまして。
おそらく、当時から「くすぐられて笑うことは恥ずかしい」みたいな感覚があったんですね。
素直に楽しむことより、恥ずかしさの方が勝っていたぐらでした。
時を経て、フェチ界隈に飛び込んで色々活動していますが、最近は一周回って、幼少期の恥ずかしさに似た感覚がよみがえっているような気がします。
なんでしょう、フェチの人と接すること=非日常だったのが、最近はそれが日常になりつつあるから、恥ずかしくなったのでしょうか。
もしくは色々活動することで、かえって自分を解放しにくくなっているのかもしれません。
②は、昔ブログに書いたことがあるのですが、私はもともとくすぐられて抵抗して暴れるのが好きなんですね。
抵抗を封じられたり、かわされながらも、暴れて、もう抵抗できないと諦めるまでの一連の流れが好きなんです。ひょっとしたら抵抗フェチかもしれません。
しかし、いくらそれが自分の嗜好だとしても、あまり暴れたり抵抗すると相手に申し訳ないしなぁ・・などと思ったりするわけで。
となると、「もしくすぐられる機会に恵まれたら、くすぐる方に①②について説明して、了承してくれた方にくすぐってもらうことが、お互いストレスなく楽しめるのではないか!」という結論になりました。
「私はくすぐられたら、抵抗したり騒いだりするけど、そうしながらくすぐられることが好きなので、私が暴れても何を言っても一切無視してくすぐってもらうことは可能でしょうか?」
ここまで具体的に伝えて、了承を得たら、お互い楽しめるかもしれません。
伝えることでかなり恥ずかしい思いをするけど、相互理解は大事ですからね。
了承してくれた方になら、自分を解放できるかもしれないですし。
ヨーロッパでは、自分の気持ちや考えを相手に伝えることは大事、ということを学んだので、こんな妄想論を展開させてしまいました☆