遊んでばかりいる塾って大丈夫なの? | Yukariのブログ

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私は、授業中、ゲームをよくします。ゲームと言ってもテレビゲームではありません。

クスダ塾は、ゲームばかりして、遊んでばかりいる塾のように思われているかも知れません。

ゲーム、遊び、こういう言葉は、どうやら否定的な意味合いがあるようです。
一方で、辛くてもがんばった。頑張ればできる。目標に向かって努力した。という言葉が好きな人は、多いと思います。

本当に努力のほうが正しく、遊んでゲームばかりしているのは、悪なのでしょうか?

京都府の北部に位置する京丹後市のクスダ塾では、英語の授業中、ゲームをよくします。
ゲームと言っても、英語の発話を促すゲームだったり多読してクイズに答えたりするゲームです。

子供は、ゲームという言葉が好きなので、
私は、第五文型や時制などの文法理解でも、単語のスペルを覚えることでも、長文読解でも、何でも面白がってゲームにしてしまいます。
いつもネットで教材を探しては、良さそうなものは、次々購入します。なければ、パワーポイントなどで作ります。

楽しいゲームだと思うと、子供は、本来みんな天才ですから何でもすぐに覚えてしまいます。勉強が嫌いで、暗記が苦手だった私の甥は、小学生の頃、全てのポケモンの名前と特徴を覚えてしまいました。

頑張ろうとしたわけでも、覚えようとしたわけでもありません。ゲームに勝つために、攻略方法を考え、一つ一つ覚えてしまったのです。

いやなことを頑張ろうとする時、車のブレーキを踏みながら、アクセルを踏むのと同じことが起きます。つまり、どんなに頑張ってアクセルを強く踏んでも、前に進まないのです。
勉強に対して、嫌だ、とか、したくないという意識が強ければ強いほど、ブレーキの力が強くなります。そして、長時間勉強しても思うように効果はあがりません。

こんなに頑張っているのに、私はどうしてできないんだ。と自分を責め、自分はダメな人間だと自信をなくすようになって、ますます何をしてもうまくいかなくなります。

一方で、勉強は楽しい、と思ってしまえば、大して努力しなくても、甥がポケモンの名前を全て覚えてしまったように、鉄道マニアの人が駅の名前や電車の名前を全て覚えてしまうように、いつまでも遊ぶように勉強を続け、大きな成果を得られます。
オタクが世界を変える、という言葉がよく聞かれますが、まさにこのことでしょう。

ゲームは、よくない。遊んでばかりでよくない。まず、この認識を取り払い、辛い勉強を、楽しい遊びに変えてしまう工夫をまず周りの大人がすることが、これからの教育では大切だと考えています。

その工夫には、考えることが必要です。クスダ塾では、知恵を絞り、どうしたら、文法が楽しいゲームになるか、スペルを何回も書いて覚えるのではなく、どうしたら、覚えることがゲームになるか、スピーキングやプレゼンが苦痛ではなくて、楽しいものになるかを、毎日毎日、考え続けています。
そして、生徒とも一緒に考え、生徒の意見やアイデアを取り入れて変えていきます。

今、何に興味があるのかを訊き、生徒の好奇心の幅を、歴史に、社会問題に、国際政治にと、広げていくようにしています。
私の好奇心の幅も生徒の影響で広がってきました。アニメのクイズも作りました。
漫画の英語版も多く購入しました。

お互いに、「これ、面白いね」と言いながら、従来の先生と生徒という関係ではなく、一緒に英語を楽しく学ぶ仲間として、好奇心を追求して新しい扉を開けて冒険していきたいと考えています。

そのために、クスダ塾では、がんばることよりも、遊ぶ、ということを大切にしています。勉強には面白がる。ことが、何よりも大切なことだと伝え続けています。

子供たちの今の幸せと将来の幸せを願っています。

https://kusudajyuku.co.jp/