毎日、泣いています。 | Yukariのブログ

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ガザのことにのめり込んでいくのは、
私が単純で何かにのめり込みやすいということの他に、
私も自分の家の瓦礫の上で泣いたことがあるからかも知らない。

ある日突然自分たちが何十年もかけて
一生懸命に積み上げてきたものが、
一瞬で、全てなくなって瓦礫になる。

子供たちの小さいころの写真、本、服、時計、ネックレス、明日寝るところ、お金、
それらが全て、一瞬で、灰になって、
帰る家がない、というのは、悪夢の中にいるようだ。

しばらくの間、無気力で泣いてばかりいた。

近所の人が言ってくれた。

待ってるからな。

どんな言葉よりありがたかった。

そして、その言葉通り、私たちは、一年後に、瓦礫の後に、小さな家を建てる事ができた。

ガザの瓦礫の巨大さに、ため息をつく。
一つの爆弾でどれだけの家が一瞬で吹っ飛んだのだろう。
瓦礫の下で亡くなった人たちのことを思い、亡くなった家族を抱きかかえる家族の動画を見る。
地面にあいた巨大な穴が、唸り声をあげる地獄の釜のように見える。

この絶望は、私たち家族の絶望の痛みの
何倍だろうと、気が遠くなる。

ガザの中に外国人ジャーナリストが入ることを、イスラエルは禁止している。
報道されたら困ることがあるのだろう。

ガザの人々が、自らジャーナリストとなり
毎日の生活を報道している。
私はその人たちを、インスタでフォローして時々それをシェアしている。

北部から、南部へ移動せよと、空から雪のように撒かれるビラ、

夜空に花火のように打ち上げられる長い尻尾が特徴的な白リン弾、

ショックで震えが止まらない子供たち、

空を見上げて手を突き出して慟哭する男性、

一瞬で吹き飛ぶ大きな建物

人は、どこまでの痛みに耐えられるのだろう。

パレスチナの人は、イスラム教なので自殺が禁じられている。

昔、自爆テロリストを見て、私は狂信的な恐ろしいテロリストだと思っていた。

最近になって、あれは、一つの自殺の仕方だと知った。

宗教で自殺が禁じられているから、そういう形で死ぬ、または、イスラエルスナイパーに殺されるように仕向ける。

もう、絶望感で生きていけないからだ。

小さな檻に閉じ込められて、上から次々と爆弾を打ち込まれ、逃げ場がなく、小さな檻の中を右往左往するしかない人々
今日食べるパンも、水もない人々
明日、生きているかどうかさえわからない人々、
家族をみんな殺された人々
人間らしい自由を全て剥奪され、檻の中の動物のように扱われ、食べ物を制限される日々、
一生、そして何世代にも渡って、劣悪な
難民キャンプでひっそりと食べ物をもらいながら生活する人生

私はそんな中、生きていけるだろうか。

ガザには、未来の希望が見られない。
再建するめども、逃げられるめども、故郷に帰られるめどもない。

ただ、瓦礫の上でうずくまるしかない。

民族全てが、今、その中にいる。

私たち世界は、それを見ながら、何もしない。

イギリスがバルフォア宣言で、作り出し、国連が承認し、アメリカが毎年何十億ドルも資金提供して育てたイスラエルという怪物なのだ。
アメリカの企業は、武器の提供もしている。

そして、世界中の企業が献金してエサをあげて太らせて巨大化させた。

日本はそれに追従し、見て見ぬふりをしている。加担している日本の企業もある。

日本人は、アメリカ寄りの、つまりイスラエル寄りのメディアが流すことを鵜呑みにし、
真実を見ようとせず、声をあげようとしない。
買い物し、レストランでおいしいものを食べ、アメリカの音楽を聞き、映画を見て、享楽的に、刹那的に、暮らしている。

デモの掛け声の中に、
Silence is complicity.
という言葉がある。

犯罪が行われているのを黙って見ているのは、共犯と同じことだ。という意味である。

What is seen cannot be unseen.
見てしまったことは、見なかったことにはできない。という言葉もある。

庶民は、無力ではない。
みんなが集まれば大きな力になる。

小さなできることから始められる。

本当のことを知ろうとすること、
パレスチナに興味を持ち続けること、
中東の歴史を正しく学ぶこと、
ガザの動画や記事を見ていいねをすること、
コメントすること、シェアをすること、
自分も意見を投稿すること、
家族や友達と話をすること、
デモに参加すること、
イスラエルを支援する会社の商品をボイコットすること(調べたらすぐわかります)
イスラエルに賛成し、停戦案に拒否権を発動するアメリカ追従の政権を手放すこと

小学6年生の時に、戦争の時の正義について、日本軍の加害について教えてくれた先生がいた。

熱く、語ってくれた。

どんなに周りが正しくないことをしていても、私は流されないで、正しいことをしようと心に思った。

私は、変で、おかしいのかも知れない。
おかしくてもいい。人から変だと思われてもいい。大きなことはできないかも知れないが、私は、パレスチナの子供たちの痛みを感じ、ただ、泣く。

おかしいのは、私でなくて、こんな恐ろしい地獄の存在を許す世界だと思う。

Be on the right side of history.

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