卒業するときに第2ボタンをあげる(もらう)という風習が広く認知されるようになったのは、この曲の影響が大きかったと思う。

(斉藤由貴の「卒業」は2年後の1985年だった)

 

中学卒業の時にその話を知らなかったのは自分だけ?誰も教えてくれなかったし、そんな話を聞いたこともなかった。でももし知っていたらボタンをあげたかった子は2人いた。2人とも同じブラスバンド部で同級生と1年下の後輩。どっちか選べと言われても選べないくらいどちらも大切だった。

 

1983年 8時だョ!全員集合

 

卒業だけが 理由でしょうか
会えなくなるねと 右手を出して
さみしくなるよ それだけですか
むこうで友だち 呼んでますね
流れる季節たちを 微笑みで
送りたいけれど

春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息 またひとつ

卒業しても 白い喫茶店
今までどおりに 会えますねと
君の話はなんだったのと
きかれるまでは 言う気でした
記念にください ボタンをひとつ
青い空に 捨てます

春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息 またひとつ

記念にください ボタンをひとつ
青い空に 捨てます

春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息 またひとつ