こんにちは、こんばんは、おはようございます
1ヶ月前にはなりますが、
無事に秋合宿を乗り越えることができました、
4回生の土谷です。
1回生のときは、惨劇を引き起こし
2回生のときは、大きくはないですが捻挫をし、
3回生のときも、膝を擦りむきまくり、
4回生にして、悲願の無事故を達成しました。
チームのみんな、本当にありがとう
さて、話は変わりますが、
最近ではラー油杯(県マス)がありましたね
個人的に楽しみの一つだったのは、
・元トレーナー2人の選手転向後初レース
・チーフトレーナー峻太郎の1年ぶりリレー
この2つを見ることでした。
りんも、あやかも、
水泳から離れてた期間が長いと聞いてたんですが、
夏休みオフ明けからの短期間で、
よく試合に出れるまで戻したなぁと少し感動でした
本人たちが納得できているかは分かりませんが、、
峻太郎も、来年は主催なので、
もしかすると人生ラストレースなのかと思うと、
貴重な刹那だなと、こちらも少し感動でした
彼は納得してるでしょう(確信)
そんな彼らに刺激を受けて、
このブログでは、私が中学3年でケガをするまで、
どんな選手だったのかを書こうと思います!
部員も涼太郎しか知らない話だと思うので、
興味がある方は、ご一読くださいね!
※写真で出てくる記録の順位は、組での順位です。
水泳を始めたのは、小学校一年生の誕生日でした。
それまでも水とプールが好きで、
道の側溝に飛び込んでは顔をケガするような
やんちゃ坊主でした笑
そんな土谷少年ですが、
きたる小2の冬、内灘のプールで行われた
C級大会で鮮烈なデビューを果たします。
C級なので、公式な記録はないのですが、
当時スクールでも泳いだことのなかった
バタフライ25mに初めて挑戦し、
なんと初優勝を飾ります!!(20秒でした)
この泳ぎに衝撃を受けてくれたコーチによって、
その後の級を、全て飛び級して選手になるんです!
ここから、父による英才教育が始まります(後述)
はじめて25mバタフライを完泳してから半年、
小3の夏まで練習を続け、次に出た試合が、
ジュニア選手権(長水路)でした。
ここで、はじめて1バタを泳ぎます。
↑その時の記録ですが、優勝です。天才ですね。
それから3ヶ月後、短水路でのジュニア選手権、
通称ジュニアスプリントという試合でも1バタを泳ぎ
↑見事、大会新記録を樹立します!
この試合でA級の参加標準を突破しました!
このレースをした日の夜、当時のコーチは、
僕と2人でjoのプールにいる夢を見たそうです。
ちなみにjoに出たことはありません。すみません。
それから一年、
待合室から鬼の形相で練習を眺めている父親に怯えながら練習を続けました。厳しい父だったので、練習内容が良くなかった日には、帰りは助手席に座るように言われます。死刑宣告です。涙なしでは帰れません。
でも、力は着実に付いていき、
小4ながら特例で出た「とびうお杯」では、こちら↑
昨年1分27秒で大会新記録だった試合は、こちら↑
2年連続の大会新記録を樹立します!
120センチちょっとの身体でよくがんばりました!
これが全盛期だったように思います笑
今見てみると、この頃から割と後半型なんですね。
その後も、それなりの活躍はします(ダイジェスト)
なぜか分からないんですが、
A級で初めて、一位の賞状がもらえたレースです。
そんなに速くないんですよ、これ
これは中部ジュニアの1フリですね。
前後半2秒でまとめてるのは綺麗ですね!
でも、これだと現役部員の当時の方が速くてもおかしくないですね。りくとあたりは絶対これより速い
小学校4年生から6年生までは、
頭痛で練習を休んだときは代わりに10キロ走って、
毎日練習前に、腹筋・背筋・腕立て伏せ・リバース腕立てを30回3セットずつと、ストリームラインジャンプ1分を5セットやったりと、
どこかの漫画で聞いたようなトレーニングを父とやってました。
精度が低いと大きめの雷が落ちるので、
全部完璧にこなしてました。化け物ですね。
ここからは中学生になりますが、
ここで事件その1です!足の骨が折れます!
それも、陸上のクラウチングスタート時です。
「セット」の瞬間、、
筋肉の引っ張る力に耐えきれなくなった骨が、
ピストルのような音を立てて折れました!
漫画のキャラのような個性ですね。
今でも、医師から受けた、その説明を疑っています。
ちなみに、周りはその音でスタートしてます笑
残念ながら、ここから土谷少年のタイムは、
決して速いとは言えないとこに落ちていきます😢
骨折から1ヶ月後くらいでしょうか
新フェスなので、
区分の関係で中2表記になってますが、
中1のときの2フリです。
速くはないんですが、やっぱり後半型ですよね
140センチ弱と考えると速いです笑
きたる中2、はじめて2バタを泳ぎました!
後半、結構強いと思います
大学生になると人が変わったようになりますが、、、
長水路だと、これが自分の持っている1番いいタイムですが、これだと全国公には出れません
あおいには、当然これを超えて欲しいところです!!
結構本気で期待してます!いける!
短水路だと、 MAX2分18秒でした。
りょうとは、これを長水で出します!
底なしの体力なんでしょうか、すごい👍
これが中学の1バタ MAXですね
もっともっと伸びる予定だったんですが、
この後の事件で、これは超えられませんでした😢
今になってもですが、
自分は1バタで1分を割ったことはありません。
だからなのか、
ラー油杯でりょうとが59秒99で泳いできたのには、
大学に入ってから1分を割ったのは初めてなのは知ってたので、少しほっこりしましたね笑
58秒出してくれるの、待ってるよ(圧)
さて、ラストイヤー中3!
非公式記録なのは残念ですが、
長水路の半バタで26秒60のベストをマークします
これは、結構速いと思います!どうでしょうか!
155センチくらいです!速いと言ってください!
自己肯定感あげたいです!
ここで事件その2が起こります!
平たく言うと、背骨を折りました!!
今も、どうして動けてるんでしょう!?
走り高跳びで背面跳びをしていたら、
着地点がセーフティマットの向こう側でした
当然、セッティングが悪かったわけではありません
この話だけ聞くとフィジカルギフテッドです笑
さて、わずか、その2週間後!
北信越出場をかけて県中学に臨みます!
種目は2個メです!
決勝2着!!
いやぁ、頑張った!!
骨折前の地区予選では2分25秒、
午前の予選では2分21秒で3番通過でした。
骨折してから2週間、ベストを5秒更新してます!
フリーだけで北信越圏外から表彰台までいってます
気持ちだけで泳ぎ切ったレースでしたね!
お気づきの通り、バックが進んでません。
このレースから、
お前のバックは貴族の泳ぎだとか、
空間が歪んで見えたとか(相対性理論)
と言われはじめました笑
自分自身の主張としては、
周りが速かっただけ説を推してるところです笑
さて、
ここまで1人の選手の全盛期から衰退期までを
書き連ねてきましたが、、、
衰退はこんなもんでは終わりませんね
そうです!
ここからが現役部員なら誰もが知るであろう
「伝説」のラップタイムが生まれます!
部員も伝聞でしか知らないんじゃないでしょうか⁉︎
ドーン!!!
しっかり、1mに1秒以上かけてますね。
心なしか、画面も青ざめてます。
タイムも前半と比べて、後方に記載されてます。
紛れもなく、僕が1回生当時の中部インカレで
叩き出してしまった大記録です。
点数を取らなきゃいけない場面で、
全国公を切らなきゃいけない場面で、
小2の自分を下回りました、よっぽどです笑
現役の皆さん、これを下回ることは到底不可能です。
どれだけ悪い結果を叩き出しても、
これを心の支えに、笑い話に変えましょう!!
それでは!











