あなたもココロとお友達。
心理カウンセラーのかとちゃんです。
今日、ちょっと長文です。
ボクの通っている心屋塾マスターコースには、
「親や近しい人に
たくさんの質問をすることで
その人の価値観を確認してくる。」
という宿題があるんです。
まあ、親の価値観というか、
人生の信念というかを確認して
近しい人でも自分とチガウ考えを
持っているということを確認するとともに
自分のルーツを見つめてこい
みたいな感じでしょうか。
...コワー((;゚Д゚));
そんなちゃんと親と話したことないわー。
うへーっ。
宿題をブッチすることも自由ですが
ある意味マジメな性格と、
それ以上に高い受講料払ってる
「損したくない」キモチも背中を押したことで
ボクのココロの製造元に会いに
名古屋の実家まで行ってきました。
ウチの両親はとても仲がいいんです。
「嫁さんをもらうならお母さんみたいな人もらえよ。」
と父親が言うような家です。
「お父さんみたいに立派な人になりなさいよ。」
と母親が言うような家です。
ウチの嫁からは
「理想のご両親」
とまで言われる、そんな家。
でもボクはそんな家がニガテでした。
ニガテなので絶対家から出たくて
大学入学を機に、脱出しました。
その後はあまり顔も出さず、
何度も病気でぶっ倒れても
ひた隠しにして、
たまに顔合わすのは
それがバレた時。
電話で連絡が来て何聞かれても
「大丈夫だから」を繰り返すだけ。
親から見たら、
とても扱いづらく難しい息子
だったのではないかと思います。
宿題にハナシを戻しますが、
質問をする前から、
両親がどんな価値観を持っているか
ボクには想像がついていました。
・父は、おおらかで優しい。
・母はシッカリ者で完璧主義。
宿題では相手の価値観を知るための質問が
たくさん用意されているのですが
やっぱりそのままの答えでした。
ある意味、正反対のふたりが
お互いが補完し合うことで
素晴らしいパートナーとなっている
そんな夫婦でした。
ただ
幼少から病気の塊だったボクは
ある時から
・母からは過干渉 → ウザイ
・父からは逆に干渉がない → 寂しい
という状態にありました。
その上、ヘンにものわかりの良いボクは
それをすべて理屈で納得させていました。
・母はボクのカラダことを心配して
あれこれ手をつくし口を出してくれていた。
・父はボクのことを信頼しているからこそ
深く干渉してこない。
でも、それはあくまで“理屈”で
自分の感情を見ないようにするための
言い訳でした。
今回の宿題をしてみてわかったことは
ふたりの親が不器用ながら
自分のできる精一杯のことを
息子である自分にしてくれていた
ということ。
「子供とは?」
という質問に、ふたりともが
「宝」
と即答するその姿を見て
自分の中で作った“理屈”でなく
本当に自分が愛されていることを感じ
感謝があふれました。
そして、
大変そうに見えていたようなことや
両親がケンカしているように見えたことも
すべて二人が「家庭の幸福」を考えてのことであり
両親は十分に幸せだったのだ。
ということが分かり、
ココロのモヤモヤやわだかまりは
大きく晴れました。
とはいえ、思っていたより
宿題のインパクトは想定内だったな
というのが印象でした。
翌日、母とはもう少し話したいと思い
唯一の共通の趣味である美術鑑賞に
熱海のMOA美術館へとふたりで小旅行しました。
初めて聞く過去の出来事から、
子供の頃に感じていた疑問も
たくさん解けていき
想像を超える苦労を
両親がしてきたことなど
知らなかったハナシを
たくさん聞くことができました。
ところでこの小旅行で
ひとつ決めていることがありました。
それは
「会社をやめること」を
母親に伝えること。
昨日の質問でもより明確化したんですが
母親は世間一般の
「安定している。ちゃんとしている」
ことが幸せと疑わない人です。(今はだいぶ緩んでいます)
さらに母は苦労人で中学しか出ていません。
だからボクは、無意識ながら
そんな母親に認められるため
・芸術や国語が好きなのに、
理系に行って手に職をと考えました。
・良い学校に行き、大学院まで出ました。
・日本中誰もが知る超優良企業にも就職しました。
ただもう正直、
勤め人は身体的にツラくてムリなのと
初めてやりたいことも見つかったので
会社をやめることにしたんです。
まあモッタイナイけど
いい大人が決めたことなのだから
その程度のこと
サラッと言えばええやろ
と思っていたのですが
話し始めると
どうしようもない罪悪感が襲ってきました。。
母はいつも
「アンタをこんな病気のカラダに
産んでしまってゴメンね。。」
と気に病んでいました。
しょっちゅう泣いていました。
忙しい中、
ボクをあちこちの医者に連れ歩く姿は
とても大変そうでした。
まわりの人からは
「息子さん、大変ね」
って言われて悲しそうでした。
さらに、
姑や家計のことでも
よく泣いている母を見ていました。
「ボクは母ちゃんを幸せに出来ない人間なんだ。」
「だから病気でツライなんて言っちゃダメだ!」
「ガンバルなんて当たり前だ!」
「母ちゃんが喜んでくれるのを見たくて、
望むものを一生懸命手に入れてここまできた。」
「それを病気でツライから辞めるなんて
また、母ちゃんを責めることになってしまう。」
ブワーッと感情があふれてきました。
「ゴメン、やっぱ母ちゃんを笑顔にできんかった。。」
そんな想いでイッパイになり、
言葉に詰まりました。
でもそんなボクの姿を見て母ちゃんは
「アンタが幸せならそれでいい。
身体第一でやりなさい。」
と、言ってくれました。
いや、
優しい母ちゃんは
そう言ってくれるであろう
ことも分かっていました。
でも、自分だけが
ずっと自分を責めてたんです。
責め続けていたんです。
ボクはこのままではいけない
ボクはこのままでは存在価値がない
ボクはガンバってこそやっと認めてもらえる
ボクは人より劣っているから人一倍がんばらないといけない
ボクは誰にも頼らず一人でなんでもできるようにならないといけない
ボクは、ボクは、、、
ただただ自慢の息子になりたかった。。。
でも実際は
誰もボクを責めていないし
誰もそんなこと望んでいない
ボクはそのままで愛されていました。
それに、母ちゃんも十分幸せだったことが昨日の宿題で分かりました。
何もボクの自由を制限するものはありませんでした。
ボクがボクに許可を出せばいいだけでした。

父ちゃん、母ちゃんありがとう。
これからは自分に優しく生きることにします。
そして、こんな機会をくれた心屋塾にも感謝します。

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