冬の雨は雪より辛い。
体感はもちろん視覚的にも寒さを感じてならない。
それにしてもいつから私は冬が苦手になったのだろう。
子どもの頃はマイナス20度以下の釧路の激寒に負けることなく走り回っていたのに。
いまでは東京生まれの人たちよりも寒さに弱いかも。
身体的減退か。はたまた精神力低下か。
両方かもしれない。
違うとすればコタツで暖をとるという生活様式がまずい。
北海道では石油ストーブで部屋全体を暖めるのだ。
寒い訳がない。キンキンに冷えたビールもすこぶる旨い!
いまはどうか解らないが北海道には寒冷地向けの
特別手当がある。
燃料手当。その昔は石炭手当といった。
毎年10月頃に支給されていたと思う。
親父たちはそれを頼りに飲み屋のツケを
盛んにしていたらしい。
店主に「来月の石炭手当で払うからもう一杯!」という具合だ。
支給される頃はどこの家も激しい夫婦喧嘩でにぎわっていた。
いつの時代も男は懲りない動物なのだ。
風邪をひけばアルコール消毒だと言って酒を呑む。
人の気を引こうと親父ギャグを嫌というほど連発したりする。
自分も含め男は子どもよりも知恵が回るぶんタチが悪い。
大学生の時、よく迷惑をかけた友だちが何人かいた。
そのなかでもっとも真面目で大人しかったのがKだった。
高校時代はクラスメイトながら口をきくことがなかった。
上京して偶然再会した。
彼は普通の大学には行かず航空大学校を目指しパイロットを夢見ていた。
会った時はアルバイトをしながらの浪人生活だった。
酒を呑んで電車がなくなり深夜下宿に転がり込んだり、飲み屋のお金が足りなくなって呼びつけたり。
失態をあげれば切りがない。迷惑ばかりかけていた。
それから彼はパイロットの夢をあきらめ海上保安庁に勤めた。
実家のことやいろいろあったらしい。
彼には4つ上の兄がいて、かなり性格が私に似ていた。
まったく顔も性格も似つかぬ兄弟だった。
「オレは兄貴には慣れているとはいえ同じのがもう一人いると骨が折れるよぉ」と言っていた。
「ごめんな。安心しろよ。この借りは将来大きくして返すから楽しみにしてろ!」と言いながらいつも大笑いしていた。
この大晦日に時期外れの喪中葉書が届いた。
Kの奥様からだった。彼は58歳で逝ってしまった。
きのうまで真っ青の空が広がっていたのに。
きょうは朝から冷たい雨だ。
アスファルトに打ちつける水滴がなぜか胸をしめつける。
きょうの寒さのせいじゃない。
いくつもの水たまりを見ながら急ぎ足で歩いた。
気がゆるんだのか、Kの顔を思い浮かべたとたん目の前の水たまりがグジャグジャに映った。
私は駅までずっとひたすら下を向きつづけ歩いた。
これだから冬の雨は嫌いだ。
