唐の欧陽詢「九成宮醴泉銘」の文章には、過去の古典からの引用句がたくさん使われています。


ちなみに「九成宮醴泉銘」の字を書いたのは初唐の三大家の一人欧陽詢ですが、文章を書いた、いわゆる撰文者は魏徴です。


魏徴は、唐の高祖、太宗の二朝に仕え、特に太宗の「貞観の治」の際の功臣として有名ですが、加えて文章に長けた人物で、唐詩選の巻頭に収められている〝述懐〟はご存じのところでしょう。


「九成宮醴泉銘」の中に次のような四言二句があります。


(九成宮醴泉銘)


『大道無名、上徳不徳』

(大道は名無く、上徳は徳とせず)

〈大いなる道には名付けるべき名とてなく、最上の徳は自らに徳があるとはしない〉という意味です。


この四言二句は「老子」の言葉からの引用かと思われます。


前半の『大道無名』は老子第三十二章冒頭の「道常無名」〈真の道には名がない〉の句を受けたもののようです。


また、後半の『上徳不徳』の方は、「老子」第三十八章のこちらも冒頭、「上徳不徳、是以有徳、下徳不失徳、是以無徳」〈高い徳を身につけた人は徳を行っても徳を意識していない。そのような訳で徳がある(この在り方が徳である)。低い徳を身につけた人は徳を失うまいとしている。そのような訳で徳がない。〉からの引用かと思われます。


我々書道に携わっている、もしくは勉強する者は、「九成宮醴泉銘」の字の方ばかり意識が行きがちですが、文章の内容をみると、昔の歴史や故事がふんだんに盛り込まれており、書き手の尋常ではない知識と能力によって表現されてきたことを改めて気付かされます。