最近

母とは

かなり

仲がいいです


母が施設に入れられない為の

戦略で

私を全肯定して

全て私に委ねてるからなのか


朝、母の部屋を

覗きにいくと

パッと目を開けて

「○○○(私)〜、おはよう

会えて嬉しいよー」

満面の笑みで

手を広げてきます


日中は

私はそこまで

母に構いません


母の家の片付けもありますし


私が帰ってくると

「○○○(私)〜

おかえり~

帰ってきて嬉しいよー」



私が夜

二胡の練習を始めると

テレビを消して

ずっと聴いています


母も練習聴いてきて

メロディを覚えてきたので

口ずさんで

「あっ、今の音

外れてたでしょ」

とか言いながら


母が

知ってる曲弾けるかなって

音階覚えてる

「チューリップ」

「春の小川」

弾いてあげたら

大喜びで

私の二胡に合わせて

歌います


元々母は

歌が好きで

若い頃

コーラスにも

入っていたので

すごく楽しそうに

幸せそうに

歌います



まさか

あれほど

憎み合ってきた

母娘に

こんな時間が訪れるとは

思いませんでした



母への

怒りや憎しみの感情で

ねじ曲がってきた

私の思考が

少しずつ

穏やかで

満ち足りた感情に

変わってきています



私にも

やむにやまれない感情や選択があった

母にも

同じように

やむにやまれない感情や選択があった


お互いを

信じられず

許せず

ねじ曲がっていた思いが

突然

知恵の輪が外れる


いや

知恵の輪が

繋がった

のかな



母の施設入所

入所先からの

連絡

待ってるんですが

来ないんです


この

待ちの時間に

私は誤解していた

母の本当の人柄を

知る時間をもらえたようで

感謝しています


憎んでいた母親を

好きになれたり

尊敬できたり

甘えたりできること


それは

母との和解

であると共に

自分自身との和解

でもあります


私をこんなに苦しめてきた母

でも

今の幸せは

母を反面教師にして

母にされて傷ついたから

私は子供達に

私に出来る限りで

愛情を伝えてきた


母を信じられなかった

いつも

母親であるより

女性だった母


でも

女性としての品格は

突出したものを

持ってるんです



私は

子供達に

「親育て」

してもらってきたな

って

思うんです


であるなら

母が

「親」になれなかったのは

私が

「親育て」が

下手だったからなのかな


なんてことまで

考えられるように

なってきました



母が

私の

母に対する

「負の感情」を

全部受け止めてくれたから

今は

母の

良いところにばかり

目がいきます



主治医からも

周りの人達からも

認知症の介護は無理だって

言われながらも

どうすることもできず

やむにやまれず

周りの方々に支えて頂きながら

ここまで

母と向き合ってきて


やっと

切り離していた過去と

今が

繋がってきて

悲しい

辛い

時間だったはずの

過去にも

たくさんの

良いことがあったことを

思い出し

たくさんの苦難を

乗り越えてきた

自分を

尊く思えるように

なってきました



人を許すことは

自分自身も許すことに

なるのかもしれません


それって

すごく難しいですが

できたら

ホントに

楽になるなぁって

思います