【拙文】日本人の感情論
昨今、日本の若者は右傾化が進んでいるなんて言われている。
「ネット右翼」なる言葉も現れて、インターネットの人気コミュニティ(2ちゃんねるやニコニコ動画など)ではネトウヨネトウヨと煽り合いのツールになっている(理由はネット右翼の定義が曖昧だから、それはそれで面白いと感じるが)。
おそらく当初は過去の大和政権が各地の邪魔な神々や反政府勢力を鬼と蔑んだ様に、マスコミが自らの論へ同調しない根性がひん曲がった輩を蔑む為にネット右翼と名付けた、一種のプロパガンダだったのだと思う(軍歌流しながら街宣車を走らせる連中を連想させる為に)。
振り返ればネット右翼との言葉が生まれた当時、韓国の電子機器部門が興隆を極め(主にDDR2メモリ製造)、中国も欧米マネーの不信から相対的に外貨が流れて急成長を遂げ始めた時期だった。
何処かで金が溢れれば資本主義国家ならば甘い蜜を吸おうと近づくのは当然で、日本政府も企業もマスコミも“特定アジア”を持ち上げた。
中国には今もそんな傾向はあるが、韓国からすると可能ならば当時に戻ってやり直したいと考えている筈だろう(日本経済はヤバイと言われてるが韓国はもっとヤバイ、中国も・・・?)。
当時の日本政府や企業、マスコミの失策を槍玉に挙げるとするならば顕著に持ち上げた先が反日思想国家だったと言う部分で、同時期に電子機器部門により興隆した親日思想国家である台湾を“政治的配慮”から持ち上げる事はしなかった事にある。
インターネットが万人に使えるツールとなり始めていた当時はパソコンを自作する様なユーザーがインターネットの最先端を行き、親日を抜きにしてもパソコンパーツメーカーや製造工場が台湾に集中している点から見て、台湾の心象は最先端を行っていたインターネットユーザーからすると相当良いものだった。
「アジア経済で成長始めてるのは台湾も同じだから持ち上げるべき、て言うか韓国や中国は反日だしね」と言う主張が「反日思想国と仲良くする必要は無い!台湾の他にもトルコやパラオ、ODA支給国など親日思想国家は沢山ある!」と言う主張に置き換わってしまった。
折角、甘い蜜を吸おうとしてるのにこう言ったインターネットユーザーの存在は正直邪魔でしかない。だから声の大きなマスコミは「こいつらネット右翼だから無視して良いよ」とプロパガンダを始めたのだ。
パソコンパーツは台湾から日本へ輸入されているのだから、宣伝が少なくとも経済的交流が盛んであるのは明白で、日本政府や企業、マスコミは「わざわざ韓国や中国と仲の悪い台湾を持ち上げ相手方を刺激なんかせずにコソコソと台湾と経済交流していれば良いよね」と考えていたところ、インターネットユーザーが騒ぎ始めてしまったのが事の発端である。
だからと言って日本政府や企業、マスコミが悪くないと言う訳でもなく、インターネットユーザーを煽り返したのだからほぼ同罪だと言って良い(煽り返したのは殆んどマスコミだけど)。
ここまで来るとクラウゼヴィッツの“戦争論”の中に記述される第1編3「暴力の極限的行使」である。早い話が両者とも引けなくなってどちらかが倒れるまで攻撃し合う状態だ。
当然ながらインターネットユーザーの主な攻撃対象は頻繁に煽り返したマスコミや、そんなマスコミと蜜月な関係を持つ政党であり、そんな政党と蜜月な関係を持つ企業である。
マスコミからすると「最初にケチ付けたのはインターネットユーザーだ!」で、インターネットユーザーからすると「最初に韓国や中国へ媚びたのはマスコミじゃねーか!」と言う水掛け論で終わりが見えない。
この戦いは理性が伴うものでは無く、「日本経済の為に書いてるのにお前らと来たら!」と言うマスコミと、「故郷日本の為に危険性を主張してるのにお前らと来たら!」と言うインターネットユーザーの感情論戦である。
そんな姿を見た海外はそれに漬け込み様々なアプローチを仕掛けて更なる泥沼を呼び込んでいるのに過ぎない。
そう言った意味では日本の結束力を高めた今回の震災は良い切っ掛けであると思う。
そろそろ停戦をして泥沼化の要因を理性の伴った議論で取り除いては如何だろうか?
自分は一つ感じる事がある。
日本の議論の殆んどは感情論戦である場合が多いと
例えば、1986年度生まれの自分はギリギリで“ゆとり重視教育”を受けなかった世代である(ゆとり重視教育は1987年度生まれから受ける)。
蛇足だが、第二次世界大戦以降の日本国教育は“学力重視教育”“ゆとり教育”“ゆとり重視教育”“新学習指導要領教育(通称未設定)”の4つあるので、自分もある意味で「ゆとり世代」となる(自分がゆとり世代なら1987年度以降はゆとり重視世代)。
ゆとり重視教育が施行される当時、自分は学生だったので大人のやる事にまるで興味を示さなかったが、今になって当時がどんな風潮だったかを調べてみた。
Googleなどで検索すると、ゆとり(重視)教育による学力低下の懸念に関する論文が稀に出てくるだけで、ゆとり重視教育の話題自体が物凄く少ない。
むしろ当時の教育論議で持ちきりだったのは少年犯罪の凶悪化に関する懸念であり、そこから学校や家庭教育が問題視されると言う流れが多かった。
当時の風潮は「学力低下の可能性は気に掛かるけど子供の心が荒む教育って絶対に良くないよね」と言うのが主流だったのだ。
当時の社会懸念は学力<少年犯罪だった可能性が高い。そして自分も学生時代を思い出すとそんな感じだった様に記憶している。
そんな国民世論を感じ取った当時の政府は「少年犯罪凶悪化は気になりますね、ではゆとりを重視した学習指導要領で子供の荒みを解消しましょう」と国民の意見を組んで文部省がゆとり重視教育を設定した。
大人になった今の自分なら「お前ら主要政治家の世代って学生運動で火炎瓶投げてた世代じゃねーか!そんな連中に俺の世代の少年犯罪凶悪化を懸念されたく無いわ!」と冗談で返せるのだが、当時の風潮はそんな感じだったのだから仕方無い。
それで今になって学力低下が顕著になり「ゆとり重視教育は良くない!」と言われるばかりか、マスコミも一緒になって猛烈に文部科学省を叩き始めるのだから文部科学省も「ええ!?当時は少年犯罪ばかり気にしてたじゃないですか!」と驚いた事だろう。可哀想に。
そんな事を考えていると、そう言えば小泉政権の派遣法改正も当時は失業率高かった事が社会問題であって、働きたくても働く枠が無い人の為に製造業も許可と言う方向になった気がするのだが、今の小泉政権の評価を見るとゆとり重視教育と同じ流れの様にしか見えない。小泉純一郎氏も可哀想に。
どうやら日本の世論は右習えで多数派意見が少数派意見を圧倒するばかりか、その少数派意見を悪とし殲滅せんとする傾向がある様だ。
過去は過去とし、例えば派遣法改正時は小泉政権に感謝しながら製造業に就き、不景気になり派遣切りが行われる様になると小泉政権は鬼と言わんばかり叩くのを良しとする人が多い感じがする。そもそも製造派遣選んだのは自分自身なのに。
「時代は上昇志向、安月給の公務員に就く奴は馬鹿」とバブル景気の時に民間企業へ就職し、現在になって「公務員は優遇されている!」と叩くバブル世代を見ると、もう痴呆になったのか?と心配になる。そもそも公務員に就いた人は安定を求めてるのに。
日本で原爆保有論が持ち上がり慌てた海外諸国はアメリカに依頼し日本へ原発建設の技術提供をさせ、日本の石油高騰不安を解消させたって事実を覚えている人はどのくらい居るのだろうか?原発建設は当時の大々的ニュースだったのに。
そんな忘れっぽい日本人なのだ、100年後くらいには「スーパー堤防は無駄の象徴だ!」とデモ隊が練り歩いているかも知れない。
話を戻すが、そもそも右翼(保守派)とはどんな存在だったか?
憲法9条信者が大好きそうな“自由・平等・友愛”の理念の元に沸き起こったフランス革命に対し、「国は綺麗事じゃ回せないんだよ」と理性論を振りかざしていた旧体制が保守派(右翼)である。
つまり、フランス革命とは民衆の感情論から起きた革命であり、それを十二分に承知していたナポレオンは自由・平等・友愛を並べながらも旧体制打倒後に皇帝位へ就くなどして綺麗事じゃない国家運営を試みている。
綺麗事じゃないとは行動にロジックを持つ事であり、感情論を多分に含んでいては成立しないものなのだ。
だから「反日思想国家だから」とか「日本の将来を考えて」とか「被災地の為に」とかの感情論は保守派として行動する理由にならない。保守派にはそもそも理性的なロジックが必要だからだ。
理性的なロジックに取って必要なのは“国としての利害一致”だけであり、利害が一致さえすれば反日思想国家相手のビジネスだろうが関係無い。
現状で己が何かを批判しているとしよう。その時、先ずは感情論に振り回されて無いか?を考える必要がある。
感情論は左翼的、引いては共産主義的な行動を呼び起こすものと気付かなくてはならないのだ。
日本人の議論は感情論戦になりやすい、そして若者はむしろ左傾化傾向にあると言う話であった。
「ネット右翼」なる言葉も現れて、インターネットの人気コミュニティ(2ちゃんねるやニコニコ動画など)ではネトウヨネトウヨと煽り合いのツールになっている(理由はネット右翼の定義が曖昧だから、それはそれで面白いと感じるが)。
おそらく当初は過去の大和政権が各地の邪魔な神々や反政府勢力を鬼と蔑んだ様に、マスコミが自らの論へ同調しない根性がひん曲がった輩を蔑む為にネット右翼と名付けた、一種のプロパガンダだったのだと思う(軍歌流しながら街宣車を走らせる連中を連想させる為に)。
振り返ればネット右翼との言葉が生まれた当時、韓国の電子機器部門が興隆を極め(主にDDR2メモリ製造)、中国も欧米マネーの不信から相対的に外貨が流れて急成長を遂げ始めた時期だった。
何処かで金が溢れれば資本主義国家ならば甘い蜜を吸おうと近づくのは当然で、日本政府も企業もマスコミも“特定アジア”を持ち上げた。
中国には今もそんな傾向はあるが、韓国からすると可能ならば当時に戻ってやり直したいと考えている筈だろう(日本経済はヤバイと言われてるが韓国はもっとヤバイ、中国も・・・?)。
当時の日本政府や企業、マスコミの失策を槍玉に挙げるとするならば顕著に持ち上げた先が反日思想国家だったと言う部分で、同時期に電子機器部門により興隆した親日思想国家である台湾を“政治的配慮”から持ち上げる事はしなかった事にある。
インターネットが万人に使えるツールとなり始めていた当時はパソコンを自作する様なユーザーがインターネットの最先端を行き、親日を抜きにしてもパソコンパーツメーカーや製造工場が台湾に集中している点から見て、台湾の心象は最先端を行っていたインターネットユーザーからすると相当良いものだった。
「アジア経済で成長始めてるのは台湾も同じだから持ち上げるべき、て言うか韓国や中国は反日だしね」と言う主張が「反日思想国と仲良くする必要は無い!台湾の他にもトルコやパラオ、ODA支給国など親日思想国家は沢山ある!」と言う主張に置き換わってしまった。
折角、甘い蜜を吸おうとしてるのにこう言ったインターネットユーザーの存在は正直邪魔でしかない。だから声の大きなマスコミは「こいつらネット右翼だから無視して良いよ」とプロパガンダを始めたのだ。
パソコンパーツは台湾から日本へ輸入されているのだから、宣伝が少なくとも経済的交流が盛んであるのは明白で、日本政府や企業、マスコミは「わざわざ韓国や中国と仲の悪い台湾を持ち上げ相手方を刺激なんかせずにコソコソと台湾と経済交流していれば良いよね」と考えていたところ、インターネットユーザーが騒ぎ始めてしまったのが事の発端である。
だからと言って日本政府や企業、マスコミが悪くないと言う訳でもなく、インターネットユーザーを煽り返したのだからほぼ同罪だと言って良い(煽り返したのは殆んどマスコミだけど)。
ここまで来るとクラウゼヴィッツの“戦争論”の中に記述される第1編3「暴力の極限的行使」である。早い話が両者とも引けなくなってどちらかが倒れるまで攻撃し合う状態だ。
当然ながらインターネットユーザーの主な攻撃対象は頻繁に煽り返したマスコミや、そんなマスコミと蜜月な関係を持つ政党であり、そんな政党と蜜月な関係を持つ企業である。
マスコミからすると「最初にケチ付けたのはインターネットユーザーだ!」で、インターネットユーザーからすると「最初に韓国や中国へ媚びたのはマスコミじゃねーか!」と言う水掛け論で終わりが見えない。
この戦いは理性が伴うものでは無く、「日本経済の為に書いてるのにお前らと来たら!」と言うマスコミと、「故郷日本の為に危険性を主張してるのにお前らと来たら!」と言うインターネットユーザーの感情論戦である。
そんな姿を見た海外はそれに漬け込み様々なアプローチを仕掛けて更なる泥沼を呼び込んでいるのに過ぎない。
そう言った意味では日本の結束力を高めた今回の震災は良い切っ掛けであると思う。
そろそろ停戦をして泥沼化の要因を理性の伴った議論で取り除いては如何だろうか?
自分は一つ感じる事がある。
日本の議論の殆んどは感情論戦である場合が多いと
例えば、1986年度生まれの自分はギリギリで“ゆとり重視教育”を受けなかった世代である(ゆとり重視教育は1987年度生まれから受ける)。
蛇足だが、第二次世界大戦以降の日本国教育は“学力重視教育”“ゆとり教育”“ゆとり重視教育”“新学習指導要領教育(通称未設定)”の4つあるので、自分もある意味で「ゆとり世代」となる(自分がゆとり世代なら1987年度以降はゆとり重視世代)。
ゆとり重視教育が施行される当時、自分は学生だったので大人のやる事にまるで興味を示さなかったが、今になって当時がどんな風潮だったかを調べてみた。
Googleなどで検索すると、ゆとり(重視)教育による学力低下の懸念に関する論文が稀に出てくるだけで、ゆとり重視教育の話題自体が物凄く少ない。
むしろ当時の教育論議で持ちきりだったのは少年犯罪の凶悪化に関する懸念であり、そこから学校や家庭教育が問題視されると言う流れが多かった。
当時の風潮は「学力低下の可能性は気に掛かるけど子供の心が荒む教育って絶対に良くないよね」と言うのが主流だったのだ。
当時の社会懸念は学力<少年犯罪だった可能性が高い。そして自分も学生時代を思い出すとそんな感じだった様に記憶している。
そんな国民世論を感じ取った当時の政府は「少年犯罪凶悪化は気になりますね、ではゆとりを重視した学習指導要領で子供の荒みを解消しましょう」と国民の意見を組んで文部省がゆとり重視教育を設定した。
大人になった今の自分なら「お前ら主要政治家の世代って学生運動で火炎瓶投げてた世代じゃねーか!そんな連中に俺の世代の少年犯罪凶悪化を懸念されたく無いわ!」と冗談で返せるのだが、当時の風潮はそんな感じだったのだから仕方無い。
それで今になって学力低下が顕著になり「ゆとり重視教育は良くない!」と言われるばかりか、マスコミも一緒になって猛烈に文部科学省を叩き始めるのだから文部科学省も「ええ!?当時は少年犯罪ばかり気にしてたじゃないですか!」と驚いた事だろう。可哀想に。
そんな事を考えていると、そう言えば小泉政権の派遣法改正も当時は失業率高かった事が社会問題であって、働きたくても働く枠が無い人の為に製造業も許可と言う方向になった気がするのだが、今の小泉政権の評価を見るとゆとり重視教育と同じ流れの様にしか見えない。小泉純一郎氏も可哀想に。
どうやら日本の世論は右習えで多数派意見が少数派意見を圧倒するばかりか、その少数派意見を悪とし殲滅せんとする傾向がある様だ。
過去は過去とし、例えば派遣法改正時は小泉政権に感謝しながら製造業に就き、不景気になり派遣切りが行われる様になると小泉政権は鬼と言わんばかり叩くのを良しとする人が多い感じがする。そもそも製造派遣選んだのは自分自身なのに。
「時代は上昇志向、安月給の公務員に就く奴は馬鹿」とバブル景気の時に民間企業へ就職し、現在になって「公務員は優遇されている!」と叩くバブル世代を見ると、もう痴呆になったのか?と心配になる。そもそも公務員に就いた人は安定を求めてるのに。
日本で原爆保有論が持ち上がり慌てた海外諸国はアメリカに依頼し日本へ原発建設の技術提供をさせ、日本の石油高騰不安を解消させたって事実を覚えている人はどのくらい居るのだろうか?原発建設は当時の大々的ニュースだったのに。
そんな忘れっぽい日本人なのだ、100年後くらいには「スーパー堤防は無駄の象徴だ!」とデモ隊が練り歩いているかも知れない。
話を戻すが、そもそも右翼(保守派)とはどんな存在だったか?
憲法9条信者が大好きそうな“自由・平等・友愛”の理念の元に沸き起こったフランス革命に対し、「国は綺麗事じゃ回せないんだよ」と理性論を振りかざしていた旧体制が保守派(右翼)である。
つまり、フランス革命とは民衆の感情論から起きた革命であり、それを十二分に承知していたナポレオンは自由・平等・友愛を並べながらも旧体制打倒後に皇帝位へ就くなどして綺麗事じゃない国家運営を試みている。
綺麗事じゃないとは行動にロジックを持つ事であり、感情論を多分に含んでいては成立しないものなのだ。
だから「反日思想国家だから」とか「日本の将来を考えて」とか「被災地の為に」とかの感情論は保守派として行動する理由にならない。保守派にはそもそも理性的なロジックが必要だからだ。
理性的なロジックに取って必要なのは“国としての利害一致”だけであり、利害が一致さえすれば反日思想国家相手のビジネスだろうが関係無い。
現状で己が何かを批判しているとしよう。その時、先ずは感情論に振り回されて無いか?を考える必要がある。
感情論は左翼的、引いては共産主義的な行動を呼び起こすものと気付かなくてはならないのだ。
日本人の議論は感情論戦になりやすい、そして若者はむしろ左傾化傾向にあると言う話であった。