命 助かった後で 震災あす1カ月
東日本大震災から11日で1カ月。この未曽有の大災害は、東北や関東地方のみならず、道内の住民にも今なお大きな影響を与え続けている。命は助かったものの苦境にあえぐ男性。新天地で新たな一歩を踏み出した女性。それぞれの立場で迎えた1カ月は――。
◇
■漁船失った釧路の3兄弟 「今後の生活見えぬ」
「命があっただけでも良かったけれど、今後の生活はどうなるのか分からない」。宮城県気仙沼港で大震災に遭ったものの、奇跡的に助かった釧路市東部漁協所属のマグロはえ縄漁船「第11みのる丸」(19トン)の加藤充則(よしのり)船長(46)は、不安な気持ちを語った。
あの日――。兄の昇さん(51)、弟の朗さん(44)とみのる丸に乗り、気仙沼港から沖に出ようとしたところ、大震災で生じた大津波に押し返された。大型船と衝突したが、運良く港の造船所に流れ着き、兄弟3人で高台に避難。発生から1週間後の先月18日、釧路の自宅に戻った。
だが、みのる丸の行方は不明のまま。避難の途中で沖に流れていく船が遠くに見えたが、その後に気仙沼の知人に尋ねても、目撃情報はない。「古い船で衝突もあったから沈んだのだろう」とあきらめている。
船舶保険が支払われても、購入時の借金があり、手元に残らない。船を新造したり漁具を新規購入したりする余裕もないという。
3年半前、父の實(みのる)さんが77歳で急死。それを契機に、工場などに勤めていた昇さん、朗さんが充則さんを手伝うようになった。だが、父から受け継いだ船はなくなり、水揚げの拠点としていた気仙沼港も復旧の見通しが立たない。
3人は現在、それぞれ職を探す毎日だ。祖父の代から受け継ぐ地元での昆布漁の権利は持っているが、これで生活が成り立つかは分からない。これから始まるサケ・マス、サンマ漁のシーズンに知り合いの船に乗ることも考えているが、決めきれないのも事実だ。
「船に乗れればいいけれど、おっかない気持ちもある。不況で、この年齢になってからは難しいが、陸の仕事を探したい」。充則さんは話している。
(古源盛一)
◇
■故郷の仙台から函館へ避難 復興願い新社会人に
仙台市で被災した女性が、避難先の函館市で職を得て、新社会人としてのスタートを切った。家族と離れ、見知らぬ土地での新たな生活に不安は募るが、願いは一刻も早い愛する故郷の復興だ。
仙台市太白区の女性(22)は3月11日のあの時、大学の卒業式を目前にして、JR仙台駅近くでアルバイト中だった。激しい揺れに近くの駐車場に逃げた。自宅は無事だったが、避難所で二晩を過ごした。親類の借家にも避難した。
余震に加えて、福島第一原発の事故の影響も心配だった。家族で話し合い、母親の知人を頼りに函館市に避難することになった。バスと電車を乗り継ぎ、3月21日に母親らと3人で市営競輪場の選手宿舎に落ち着いた。仕事がある父は仙台に残った。
仙台は「田舎と都会の魅力の両方がある大好きな街」だ。テレビで見る被害の様子と、自分の記憶にある風景が重ならない。それがつらい。自分だけ逃げていると思うと気持ちが重くなるが、仙台に戻っても仕事はない。知人のつてで、函館パークホテルの試験を受け入社が決まった。
「アパートを借りて自立したい。給料で物資をたくさん仙台に届けたい」
故郷に思いを寄せながらも、早く仕事を覚えたいと忙しく動き回る毎日だ。
(加賀谷直人)
■公営住宅や医療機関 被災者受け入れ進む
この1カ月で、被災者の受け入れ態勢は、道内でも着実に進んできた。
道のまとめでは、被災者受け入れの態勢を整えた公営住宅は、道営が212戸、144の市町村営が計1856戸にのぼる。これらのうち7日現在で、道営53戸に計176人、市町村営118戸に計366人が入居している。
被災地の病人や高齢者、障害者たちの受け入れ準備も進めた。内科や外科、産科など計403の医療機関は、計3158のベッドを確保した。高齢者施設は448カ所(受け入れ可能人数1879人)、障害者施設は228カ所(同734人)、母子家庭や孤児などの受け入れ施設は147カ所(358人)。
これまでに宮城県の81人の患者が、人工透析治療のために道内の病院に入院した。また災害派遣医療チーム(北海道DMAT)の医師らは、被災地の4人の負傷者を受け入れた。
道は先月の道議会で成立した今年度補正予算に、被災地まで出向いて被災者を受け入れる支援策を盛り込んだ。集落や避難所単位で道内に集団で避難する人たちが対象だ。3月22日以降、岩手、宮城、福島の3県庁に道の支援策をまとめた資料を配っているが、打診はないという。
一方、道民から寄せられた支援物資は、順次、被災地に送り届けられている。
道のまとめでは、7日現在で、市町村や企業から寄せられた毛布約2万6千枚、水約1万4千箱、タオル3万3千本、カップ麺やレトルト食品など食料約1万7千箱などを宮城県内に送った。道民個人から寄せられたものでは、インスタントラーメンのような食料品、トイレットペーパーなどの生活用品について、4トントラック5台分の分量を被災3県に送った。
道民個人からの支援物資は、道庁本庁や各振興局で22日まで受け付けている。
朝日新聞
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001104100008
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■漁船失った釧路の3兄弟 「今後の生活見えぬ」
「命があっただけでも良かったけれど、今後の生活はどうなるのか分からない」。宮城県気仙沼港で大震災に遭ったものの、奇跡的に助かった釧路市東部漁協所属のマグロはえ縄漁船「第11みのる丸」(19トン)の加藤充則(よしのり)船長(46)は、不安な気持ちを語った。
あの日――。兄の昇さん(51)、弟の朗さん(44)とみのる丸に乗り、気仙沼港から沖に出ようとしたところ、大震災で生じた大津波に押し返された。大型船と衝突したが、運良く港の造船所に流れ着き、兄弟3人で高台に避難。発生から1週間後の先月18日、釧路の自宅に戻った。
だが、みのる丸の行方は不明のまま。避難の途中で沖に流れていく船が遠くに見えたが、その後に気仙沼の知人に尋ねても、目撃情報はない。「古い船で衝突もあったから沈んだのだろう」とあきらめている。
船舶保険が支払われても、購入時の借金があり、手元に残らない。船を新造したり漁具を新規購入したりする余裕もないという。
3年半前、父の實(みのる)さんが77歳で急死。それを契機に、工場などに勤めていた昇さん、朗さんが充則さんを手伝うようになった。だが、父から受け継いだ船はなくなり、水揚げの拠点としていた気仙沼港も復旧の見通しが立たない。
3人は現在、それぞれ職を探す毎日だ。祖父の代から受け継ぐ地元での昆布漁の権利は持っているが、これで生活が成り立つかは分からない。これから始まるサケ・マス、サンマ漁のシーズンに知り合いの船に乗ることも考えているが、決めきれないのも事実だ。
「船に乗れればいいけれど、おっかない気持ちもある。不況で、この年齢になってからは難しいが、陸の仕事を探したい」。充則さんは話している。
(古源盛一)
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■故郷の仙台から函館へ避難 復興願い新社会人に
仙台市で被災した女性が、避難先の函館市で職を得て、新社会人としてのスタートを切った。家族と離れ、見知らぬ土地での新たな生活に不安は募るが、願いは一刻も早い愛する故郷の復興だ。
仙台市太白区の女性(22)は3月11日のあの時、大学の卒業式を目前にして、JR仙台駅近くでアルバイト中だった。激しい揺れに近くの駐車場に逃げた。自宅は無事だったが、避難所で二晩を過ごした。親類の借家にも避難した。
余震に加えて、福島第一原発の事故の影響も心配だった。家族で話し合い、母親の知人を頼りに函館市に避難することになった。バスと電車を乗り継ぎ、3月21日に母親らと3人で市営競輪場の選手宿舎に落ち着いた。仕事がある父は仙台に残った。
仙台は「田舎と都会の魅力の両方がある大好きな街」だ。テレビで見る被害の様子と、自分の記憶にある風景が重ならない。それがつらい。自分だけ逃げていると思うと気持ちが重くなるが、仙台に戻っても仕事はない。知人のつてで、函館パークホテルの試験を受け入社が決まった。
「アパートを借りて自立したい。給料で物資をたくさん仙台に届けたい」
故郷に思いを寄せながらも、早く仕事を覚えたいと忙しく動き回る毎日だ。
(加賀谷直人)
■公営住宅や医療機関 被災者受け入れ進む
この1カ月で、被災者の受け入れ態勢は、道内でも着実に進んできた。
道のまとめでは、被災者受け入れの態勢を整えた公営住宅は、道営が212戸、144の市町村営が計1856戸にのぼる。これらのうち7日現在で、道営53戸に計176人、市町村営118戸に計366人が入居している。
被災地の病人や高齢者、障害者たちの受け入れ準備も進めた。内科や外科、産科など計403の医療機関は、計3158のベッドを確保した。高齢者施設は448カ所(受け入れ可能人数1879人)、障害者施設は228カ所(同734人)、母子家庭や孤児などの受け入れ施設は147カ所(358人)。
これまでに宮城県の81人の患者が、人工透析治療のために道内の病院に入院した。また災害派遣医療チーム(北海道DMAT)の医師らは、被災地の4人の負傷者を受け入れた。
道は先月の道議会で成立した今年度補正予算に、被災地まで出向いて被災者を受け入れる支援策を盛り込んだ。集落や避難所単位で道内に集団で避難する人たちが対象だ。3月22日以降、岩手、宮城、福島の3県庁に道の支援策をまとめた資料を配っているが、打診はないという。
一方、道民から寄せられた支援物資は、順次、被災地に送り届けられている。
道のまとめでは、7日現在で、市町村や企業から寄せられた毛布約2万6千枚、水約1万4千箱、タオル3万3千本、カップ麺やレトルト食品など食料約1万7千箱などを宮城県内に送った。道民個人から寄せられたものでは、インスタントラーメンのような食料品、トイレットペーパーなどの生活用品について、4トントラック5台分の分量を被災3県に送った。
道民個人からの支援物資は、道庁本庁や各振興局で22日まで受け付けている。
朝日新聞
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001104100008