【拙文】日本の死刑制度 | くしろぐ

【拙文】日本の死刑制度

憤慨などでは無く自分は愕然とした。
秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大被告(の弁護士)が一審判決死刑を不服として控訴したのだ。

日本のインターネットを見て回っても禁句の様な扱いを受けているこの事件。
当時のインターネットユーザー達は加藤をネタ的に扱う者も中には居たが、多くは怒りや悲しみ、それよりも深く恨みを主張する者が居た。

オタクの立場も社会的に責められ、2ちゃんねるで見た「オタクが人を愛してはいけないのか?」との言葉を自分は鮮明に覚えている。
それを見た言わば一般人の自分はオタクへ興味を持った切っ掛けとなる。

インターネットユーザー達が今でもタブー視しながら沸々とした感情を心の奥へしまう結果を作った加藤智大は生き続けたいらしい。
静かに心の奥で燃える感情へ油を注ぐ結果となるのは文字通り火を見るより明らかである。

世界的に見ても死刑制度の採用は少ない傾向だ。
文明社会に前時代的な死刑制度は合わないのだと主張されることが多い。

しかし、日本の死刑制度は日本独自のものだという事を忘れてはならない。
それは、日本の死刑の場合は死刑執行直前(殆んどの場合は執行日の朝)に死刑執行を告げられると言うものである。

死刑囚は死刑執行まで刑務所の独房で拘置される。
その間、親類やカウンセラー、宗教僧侶などの面会が許可されており心のケアにあたる。

例えば死刑囚の中には「死にたいから」と言う理由で凶悪犯罪を起こす者が少なからず居る。
そして死刑が言い渡され拘置されるが直ぐに死ねるわけではない。
いつ死ねるか解らないのである。
死刑には法務大臣の許可が必要であり、死刑囚はもちろんの事、親類や刑務官、マスコミなども執行日は解らない。

そんな中、心のケアとして様々な人が面会に訪れる。
嫌でも命を意識し始めるのだ。

死刑囚は就寝前に今日も生きられたと考え始め、明日は解らないと恐怖する。
それが毎日毎日繰り返される。

そしてある日突然告げられる死刑執行。
これが自分が奪った命と言うものか、これが死なのかと理解する。

ある死刑囚が「真人間になって来ます」と言って死んで行った。
この記事を読んだ人々は何故彼がそう言ったのか理解出来たのではなかろうか?

日本の死刑制度とは死ぬ事が刑では無い。死ぬまでが刑なのだ。

加藤智大が生に執着し始めたのか、人権論者の弁護士が無理矢理控訴させたのかは解らない。
足掻きたいのなら足掻けば良いだろうと自分は思う。
足掻けば足掻くほど命の重みを理解するのが日本の死刑制度なのだから。