【拙文】我々がしなければならない復興支援活動とは | くしろぐ

【拙文】我々がしなければならない復興支援活動とは

震災関連報道はつまらないと語りながらも再び震災関連のコラムを書こうとしている事へ謝罪したい。
そして、今から皆さんの想いへ水を差す言葉を口にする事を許して欲しい。

アメブロには記事を書く内容に困った場合、一つの指針を示してくれるブログネタと言うものがあるのは御存知だろう。
震災が起こった事によりブログネタでも「東北地方太平洋沖地震をうけて、今自分にできること」と言う項目が作られた。
自分はある程度の時間を掛け、数字にして3桁には至るであろう数の記事を読ませて戴いた。
様々を読んだ限りでは欠けている。皆さんが挙げている復興支援活動には大切なものが欠けているのだ。

募金や節電、燃料を過剰消費しない、買いだめをしない、情報の出元を確認するetc...多くの人々が挙げたこれらは間違いなく善行である。積極的にすべきだと自分も推奨する善行だ。
ただ、これらの善行は「今しか役に立たない善行である」事を認識すべきであり、「復興」との言葉を考えてみる必要がある。

言われないでも解るだろうが「復興」とは興し回復させる事だ。
募金は経済支援として復興の運用資金と言う形で活用出来るが、節電や買いだめをしない等が今後の復興に役立つだろうか?
多くの失わなくても良い人間を生かすと言う観点からは先へ続く行為ではあるが、人間は生きてるだけでは復興など出来ない。

募金よりも気軽に我々が出来る最も身近な復興支援活動とは「学生ならば勉学、社会人ならば労働に努める」事である。
灯台もと暗しとはこの事であろう。復興には教育や経済の発展が間違いなく将来で効いてくる要素となるのは解る筈だ。

震災で職場を失った人が居ても会社の業績が伸びれば雇用は生まれるし、税金により国庫も潤い公的復興支援が更に促進される。
学生ならば復興への金の卵だと言って良い。学生には無限とも言える可能性があり、中には震災対策技術を開発する者に成長したり、研究者から渡された図面通り精巧に製造する者へ成長出来たりする。
「復興」とは興し回復させる事である。興すには日々の努めが無くてはならない。

努力が報われるのか?と聞かれれば自分は必ずしも報われるものではないと当然答える。

当時、岩手県釜石港のギネスブックにも乗る世界一の防波堤が破壊された。
この世界一の防波堤で想定されていた地震規模はマグニチュード8.5である。
東北地方太平洋沖地震が発生する前までは日本最大規模であった明治三陸沖地震のマグニチュード8,5に十分耐えられる設計になっていたのだ。
しかし、自然は人間の予測を嘲笑うか如くマグニチュード9.0の地震を見せ付け、企画した行政、設計した学者、巧みに建造した職人達の努力を打ち砕いた。

高台からその防波堤を愕然として眺めたとある学者が唇を噛み締め、そしてこう言った。
「全国的に防災対策を作り直す必要がある」
この学者は諦めていなかった。数年掛けて努めたものを打ち砕かれてもだ。

皆さんの挙げた善行を自分は今しか役に立たないと言った。自分は皆さんの努力を打ち砕いた。
米国ニューヨークタイムス誌も「過剰な自粛運動は日本経済を低迷させ倒産企業を増やす」と言っている。
自分は皆さんの努力が打ち砕かれても「それでも駄目なら」と立ち上がって貰いたい。

江頭2:50氏の支援物資輸送エピソードが広く感動を呼んだのは記憶に新しい。
彼は人々を笑顔にさせられるのなら私財投入も惜しまず、そして仕事など関係無くプライベートでもメディアが居ない所で芸人として活動する。
他のタレントがテレビカメラの前で支援を呼び掛けをしている時、呼び掛けしている暇があるならと迅速に物資を輸送した。
彼のあの迅速な対応は最も正しい支援活動と言える。テレビカメラの前で支援を呼び掛けるよりも即効性のある行為だからだ。
そして江頭2:50氏ならば既に次の行動を起こしていると自分は予測する。それは本来の芸人営業をする事だ。
支援には直ぐに効く即効性のものと、後から効いてくる遅効性のものがある事に気付かなくてはならない。

我々が出来る次の復興支援活動とは、学び働き買って売り、新しきを作り出し古きものを応用し、仲間と助け合い家族恋人を愛し、喜怒哀楽に生き抜く事である。