【拙文】震災関連報道はつまらない
そう呟く人が最近多い。
それに対し「想いは解るが口にするのは不謹慎だ」と返す善意の人も多い。
善意の人もこのつまらない現状を打破する方法論があるのなら実行しているし、つまらないと呟く人はその方法論を教えて貰えるかもと期待してつぶやいているのだ。
だから、善意の人の注意は少しの効果は有ろうがあまり意味が無い。どっちみち両者とも現状をつまらないものと認識しているからだ。
不景気に加えて今回の震災で多くの不幸が生まれ、TVや新聞などのメディアは震災関連報道ばかりであり、当ブログが転載するニュースも震災関連報道だ。
多くのコンテンツが似た様な事ばかりをしており、正直に言えば自分も現状をつまらないものと認識している。
無論、被災死亡者へ哀悼の意を持っているし、被災地の仲間へは毎日の様に激励しているが、現状をつまらないものと考えてしまうのは人間であるし仕方が無い。
それはともかく、最近自分は漫画やアニメへ親友の影響から強い興味を持っている。
正確にはそれらを好む者、つまりオタクであるが、オタク達へ興味を自分は示しているのだ。
何故なら、つまらないを打破する鍵が彼らオタクにあると考えるから。
くしろぐはニュースブログと言う形式の為にアメブロでは硬派な部類に入るものと自分は考えており、読者の中には漫画やアニメへ全く興味の無い者も少なからず居ると思う。
それらを好むオタク達につまらないを打破する鍵があると言うのならば、一興として読み進めてみてはどうだろうか?
自分がよくコメントをするブログの筆者達の中にはオタクが少なく無く、何かあると顔を出す様にしている釧路唯一とも言えるアニメ関連グッズ販売店moe station、そんなオタクの方々は「何故、寝虎みたいな畑違いの人間が近付いて来るんだ?」と疑問になっているかも知れない。
確かに自分は職業は海技士であり陸の人間からすると馴染みの薄い職へ就いて居るし、魔術や神話と言うファンタジーな関連性は在るにせよ趣味は民俗学と言う別のものだ。
自分が何を考えて積極的にオタク達と関わろうとしているかと言えば、オタクは不幸を忘れるのが上手いと言う点に興味を持った。最近流行ってるからと言うわけでは無い。
こんな風に言うと「悩みの一つや二つ有るに決まってるだろ」と反論されてしまうかも知れないが、質問をしてみたいと思う。
「漫画やアニメ、2ちゃんねるにニコニコ動画等を楽しんで居る時に不幸を感じていますか?」
答えはノーではなかろうか?
それに集中しているのだから当たり前なのかも知れないが、自身の持っている不幸を確実にその時は忘れているはずだ。
人間は心の底から馬鹿笑いして居る時に不幸を感じられるほど繊細に出来て居ないのだ。
ニコニコ動画へログインし、無駄に作り込まれたネタ動画を目の当たりにし「神すぐるwwwww」「才能の無駄使いwww」等とコメントしている時、自身は不幸で無い。
そう言った観点からオタクは不幸を忘れるのが上手いと自分は高く評価しているのだ。
これは自分の本気の想いであり、見習いたいと感じている美点である。学びたいからこそ自分はオタク達へ近付いている。
そして何故あんなにニコニコ動画のアクセスが伸びているかと言えば、誰しもが無意識下に笑いは不幸を忘れられるものと自覚しているからでは無いか?
だからこそ日本全体でお笑いブームも起きたのであるのだと思う。
インターネットでは8年ほど前に2ちゃんねるを中心でFlash動画ブームがあり、その後は電車男ブーム、ニュース速報VIP板ブームと数年前まで続き、現在の場はニコニコ動画である。そこには常に笑いがあった。
2ちゃんねるもニコニコ動画も創始者はひろゆき氏であるが、彼は面白さの見解に関して卓越した感性があると自分は評価している。
そのひろゆき氏の注目すべき発言を自分はいくつか見つけた。その一つにこんなものがある。
初期:面白い人が面白いことを書く
中期:面白くない人が面白いものを見に来る
終末期:面白くない人が面白くないものを書き始める
「書く」を「作る」や「行う」に置き換えれば人を楽しませるエンターテイメント全体に言える事となるはずだ。
例えば、リアクションの発言も無くダラダラとプレイを続けるゲーム実況や、売りが女性と言うだけのトーク配信及び歌ってみた等、この発言の最足るものと言わざる得ない。
インターネット上ではこれらを「構ってちゃん」と揶揄するがその通りだ。
これらの配信者は独自の工夫を廃し、二番三番煎じの焼き回しであり、寧ろその動画を観ている視聴者に楽しませて貰おうとしている。これでは配信する意味など全く無い。全くだ。
自分は配信しようとする者を高く評価する感性を持っている。
何故なら、他者から供給される楽しさは供給されている限り自身の不幸を忘れられるが、楽しさを他者へ依存している為に供給が断たれる可能性がある。
しかし配信者は違う。配信者は自身で楽しさを生産し、自身が楽しさを生むのを辞めなければ、自身はずっと楽しいままだと知っているからだ。
自分はそうやって楽しさを自身で生産する配信者、クリエイターとでもエンターテイナーとでも呼んでも良い、そんな方々を高く評価しないはずは無い。
構ってちゃん型の配信者は視聴者にそのクリエイター(エンターテイナー)の役割をしてくれと強要しているのだ。
ひろゆき氏は上記の他に「つまらない人生だなと思うことはつまらないことをしてるからだよ」とも発言している。
今日の配信はつまらなかったと感じる事のある配信者は、本当に自分が楽しさを生産出来ているのか?を考えてみた方が良い。
自分がコメントをする多くのブログは生産するそう言った要素を持っている方々だ。
絵を描いている人、小物デザインをしている人、お店を経営する人、ドールの衣服を作る人、バンドをやっている人etc...。
もちろん、人間性が気に入っていて生産型の人では無くともコメントする事はあるが。
自分はそう言った人間へ成りたいが為にクリエイターやエンターテイナーの多いオタク達と関わりたいと思っているのだ。
だからこそプロフィールへは「楽しめるプロジェクト」と書いた。
津波で泥だらけになった道路が綺麗になっていたり、瓦礫で埋まった部分が土木関係者により除去されたり、世界各地の人々から義援金や救援物資が届く。
被災地では無くとも復興の息吹は感じられ、現状で多くの報道を目にする為、自分達は悲惨さをよく知っている。
よく知っているからこそ自分達は復興を「凄い!」と言って感動出来るのだと思う。
現状をつまらないと呟くのなら復興のお手伝いをしてみては如何だろうか?
復興の為に動いている間は不幸を忘れられるし、支援者である皆さんの成した事へ必ず絶賛が聞こえてくる。
いつか日本国民全体が「凄い!」と発する様になる時、幸福で無いかも知れないが絶対に不幸では無いはずだ。
震災報道ばかりの現状は確かにつまらない。しかし不幸を忘れる準備期間でもある事は確かなのだ。
それに対し「想いは解るが口にするのは不謹慎だ」と返す善意の人も多い。
善意の人もこのつまらない現状を打破する方法論があるのなら実行しているし、つまらないと呟く人はその方法論を教えて貰えるかもと期待してつぶやいているのだ。
だから、善意の人の注意は少しの効果は有ろうがあまり意味が無い。どっちみち両者とも現状をつまらないものと認識しているからだ。
不景気に加えて今回の震災で多くの不幸が生まれ、TVや新聞などのメディアは震災関連報道ばかりであり、当ブログが転載するニュースも震災関連報道だ。
多くのコンテンツが似た様な事ばかりをしており、正直に言えば自分も現状をつまらないものと認識している。
無論、被災死亡者へ哀悼の意を持っているし、被災地の仲間へは毎日の様に激励しているが、現状をつまらないものと考えてしまうのは人間であるし仕方が無い。
それはともかく、最近自分は漫画やアニメへ親友の影響から強い興味を持っている。
正確にはそれらを好む者、つまりオタクであるが、オタク達へ興味を自分は示しているのだ。
何故なら、つまらないを打破する鍵が彼らオタクにあると考えるから。
くしろぐはニュースブログと言う形式の為にアメブロでは硬派な部類に入るものと自分は考えており、読者の中には漫画やアニメへ全く興味の無い者も少なからず居ると思う。
それらを好むオタク達につまらないを打破する鍵があると言うのならば、一興として読み進めてみてはどうだろうか?
自分がよくコメントをするブログの筆者達の中にはオタクが少なく無く、何かあると顔を出す様にしている釧路唯一とも言えるアニメ関連グッズ販売店moe station、そんなオタクの方々は「何故、寝虎みたいな畑違いの人間が近付いて来るんだ?」と疑問になっているかも知れない。
確かに自分は職業は海技士であり陸の人間からすると馴染みの薄い職へ就いて居るし、魔術や神話と言うファンタジーな関連性は在るにせよ趣味は民俗学と言う別のものだ。
自分が何を考えて積極的にオタク達と関わろうとしているかと言えば、オタクは不幸を忘れるのが上手いと言う点に興味を持った。最近流行ってるからと言うわけでは無い。
こんな風に言うと「悩みの一つや二つ有るに決まってるだろ」と反論されてしまうかも知れないが、質問をしてみたいと思う。
「漫画やアニメ、2ちゃんねるにニコニコ動画等を楽しんで居る時に不幸を感じていますか?」
答えはノーではなかろうか?
それに集中しているのだから当たり前なのかも知れないが、自身の持っている不幸を確実にその時は忘れているはずだ。
人間は心の底から馬鹿笑いして居る時に不幸を感じられるほど繊細に出来て居ないのだ。
ニコニコ動画へログインし、無駄に作り込まれたネタ動画を目の当たりにし「神すぐるwwwww」「才能の無駄使いwww」等とコメントしている時、自身は不幸で無い。
そう言った観点からオタクは不幸を忘れるのが上手いと自分は高く評価しているのだ。
これは自分の本気の想いであり、見習いたいと感じている美点である。学びたいからこそ自分はオタク達へ近付いている。
そして何故あんなにニコニコ動画のアクセスが伸びているかと言えば、誰しもが無意識下に笑いは不幸を忘れられるものと自覚しているからでは無いか?
だからこそ日本全体でお笑いブームも起きたのであるのだと思う。
インターネットでは8年ほど前に2ちゃんねるを中心でFlash動画ブームがあり、その後は電車男ブーム、ニュース速報VIP板ブームと数年前まで続き、現在の場はニコニコ動画である。そこには常に笑いがあった。
2ちゃんねるもニコニコ動画も創始者はひろゆき氏であるが、彼は面白さの見解に関して卓越した感性があると自分は評価している。
そのひろゆき氏の注目すべき発言を自分はいくつか見つけた。その一つにこんなものがある。
初期:面白い人が面白いことを書く
中期:面白くない人が面白いものを見に来る
終末期:面白くない人が面白くないものを書き始める
「書く」を「作る」や「行う」に置き換えれば人を楽しませるエンターテイメント全体に言える事となるはずだ。
例えば、リアクションの発言も無くダラダラとプレイを続けるゲーム実況や、売りが女性と言うだけのトーク配信及び歌ってみた等、この発言の最足るものと言わざる得ない。
インターネット上ではこれらを「構ってちゃん」と揶揄するがその通りだ。
これらの配信者は独自の工夫を廃し、二番三番煎じの焼き回しであり、寧ろその動画を観ている視聴者に楽しませて貰おうとしている。これでは配信する意味など全く無い。全くだ。
自分は配信しようとする者を高く評価する感性を持っている。
何故なら、他者から供給される楽しさは供給されている限り自身の不幸を忘れられるが、楽しさを他者へ依存している為に供給が断たれる可能性がある。
しかし配信者は違う。配信者は自身で楽しさを生産し、自身が楽しさを生むのを辞めなければ、自身はずっと楽しいままだと知っているからだ。
自分はそうやって楽しさを自身で生産する配信者、クリエイターとでもエンターテイナーとでも呼んでも良い、そんな方々を高く評価しないはずは無い。
構ってちゃん型の配信者は視聴者にそのクリエイター(エンターテイナー)の役割をしてくれと強要しているのだ。
ひろゆき氏は上記の他に「つまらない人生だなと思うことはつまらないことをしてるからだよ」とも発言している。
今日の配信はつまらなかったと感じる事のある配信者は、本当に自分が楽しさを生産出来ているのか?を考えてみた方が良い。
自分がコメントをする多くのブログは生産するそう言った要素を持っている方々だ。
絵を描いている人、小物デザインをしている人、お店を経営する人、ドールの衣服を作る人、バンドをやっている人etc...。
もちろん、人間性が気に入っていて生産型の人では無くともコメントする事はあるが。
自分はそう言った人間へ成りたいが為にクリエイターやエンターテイナーの多いオタク達と関わりたいと思っているのだ。
だからこそプロフィールへは「楽しめるプロジェクト」と書いた。
津波で泥だらけになった道路が綺麗になっていたり、瓦礫で埋まった部分が土木関係者により除去されたり、世界各地の人々から義援金や救援物資が届く。
被災地では無くとも復興の息吹は感じられ、現状で多くの報道を目にする為、自分達は悲惨さをよく知っている。
よく知っているからこそ自分達は復興を「凄い!」と言って感動出来るのだと思う。
現状をつまらないと呟くのなら復興のお手伝いをしてみては如何だろうか?
復興の為に動いている間は不幸を忘れられるし、支援者である皆さんの成した事へ必ず絶賛が聞こえてくる。
いつか日本国民全体が「凄い!」と発する様になる時、幸福で無いかも知れないが絶対に不幸では無いはずだ。
震災報道ばかりの現状は確かにつまらない。しかし不幸を忘れる準備期間でもある事は確かなのだ。