家族の温もりやっと 避難所で涙の再会 陸前高田、岩手・大槌 | くしろぐ

家族の温もりやっと 避難所で涙の再会 陸前高田、岩手・大槌

被災地につながる国道の一般車両の通行が可能になった岩手県。各避難所では、家族が、知人同士が、震災を乗り越え再会を果たした。

陸前高田市の高田一中。同市出身で北海道から駆け付けた釧路市議の村上和繁さん(51)は、父の与四郎さん(80)、母のフヨさん(81)と抱き合って喜んだ。
震災が起きたとき、与四郎さん夫婦は市役所の屋上に逃げ、津波被害を切り抜けた。そのまま一晩を明かし、12日朝に避難所へ搬送された。
目が不自由なフヨさんを、付きっきりで支えた与四郎さん。余震への不安と真冬のような寒さ。2人の体力は消耗しきっていたという。
和繁さんは、知り合いを通じて、両親が避難したことを知っていた。それでも「この目で無事を確認するまで心配でならなかった」。
安心のあまり泣き崩れた親子3人。周囲の人たちに「お世話になりました。ありがとう」と頭を下げて、避難所生活を終えた。
「心底、ほっとした。いまはそれしか言葉にできない」と和繁さん。釧路市に移り、親子で暮らすという。

津波に町がのみ込まれた大槌町。盛岡市の無職蛇口正喜さん(61)は大槌高体育館で、被災した弟の会社員禎治さん(56)、叔母の無職栄子さん(75)らと再会した。
正喜さんは16日、禎治さんらが無事であることをテレビを通じて分かった。被災地への一般車の乗り入れが可能になることも知り、「二重の喜びだった」という。
兄弟水入らずで、20分ほど積もる話をした。禎治さんは、ほかの親族とともに引き続き避難所にとどまることを伝え、握手をして別れた。
「会えて本当に良かった」と正喜さん。禎治さんは、兄の差し入れを手に「情報が入らない避難所でラジオは貴重。体育館はすきま風が寒く、衣類もありがたい」と喜んだ。

河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110318t33047.htm