「亡き父が守ってくれた」・・・釧路のマグロ船、気仙沼で被災
マグロ漁のため宮城県・気仙沼市に入港、地震後に連絡が途絶えていた釧路市東部漁協所属のマグロはえ縄漁船「第11みのる丸」(約20トン)の兄弟3人が、津波に襲われながら陸に戻り、避難所の気仙沼市役所にいることが14日、釧路市の家族に入った電話でわかった。船の名は、40年以上前、丸2日の漂流から奇跡の生還を果たした亡き父の名を冠していた。家族は「父さんが守ってくれた」と涙ぐんだ。
母の加藤洋子さん(79)と長男光一さん(52)によると、乗っていたのは船長で三男充則(よしのり)さん(46)、次男昇さん(51)、四男朗さん(44)。
充則さんは中学卒業以来、父実(みのる)さんと漁に出ていた。実さんが2008年に78歳で亡くなってからは、昇さん、朗さんも本格的に漁に加わった。
地震前1週間はしけで、船は気仙沼港に入っていたという。11日午前11時頃、「燃料や食料を補給して沖に出る」と連絡があったが、地震後は携帯電話も船舶電話もつながらなくなった。
充則さんから自宅に電話が来たのは、13日午後11時頃。3人は地震直後、津波を避けるため沖に出ようとしたが、津波に巻き込まれた大型漁船と衝突し、はずみで近くの船揚場に乗り上げた。船を下り、必死で高台に駆け上がった。高台から炎に包まれた市街地が見えたという。
翌朝、避難所で食料を受け取り、洋品店でジャンパーをもらって寒さをしのぎながら、気仙沼市役所にたどり着いたという。
安否確認ができず、ほとんど寝られぬ日を過ごした光一さんと洋子さんは「父さんが見守ってくれたのかな。早く顔を見たい」と表情を崩した。
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20110314-OYT8T01001.htm
母の加藤洋子さん(79)と長男光一さん(52)によると、乗っていたのは船長で三男充則(よしのり)さん(46)、次男昇さん(51)、四男朗さん(44)。
充則さんは中学卒業以来、父実(みのる)さんと漁に出ていた。実さんが2008年に78歳で亡くなってからは、昇さん、朗さんも本格的に漁に加わった。
地震前1週間はしけで、船は気仙沼港に入っていたという。11日午前11時頃、「燃料や食料を補給して沖に出る」と連絡があったが、地震後は携帯電話も船舶電話もつながらなくなった。
充則さんから自宅に電話が来たのは、13日午後11時頃。3人は地震直後、津波を避けるため沖に出ようとしたが、津波に巻き込まれた大型漁船と衝突し、はずみで近くの船揚場に乗り上げた。船を下り、必死で高台に駆け上がった。高台から炎に包まれた市街地が見えたという。
翌朝、避難所で食料を受け取り、洋品店でジャンパーをもらって寒さをしのぎながら、気仙沼市役所にたどり着いたという。
安否確認ができず、ほとんど寝られぬ日を過ごした光一さんと洋子さんは「父さんが見守ってくれたのかな。早く顔を見たい」と表情を崩した。
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20110314-OYT8T01001.htm