東日本大震災:津波の爪痕、激しく 海岸線に車、材木散在 /北海道 | くしろぐ

東日本大震災:津波の爪痕、激しく 海岸線に車、材木散在 /北海道

◇住民ら復旧作業に追われ

東日本大震災から一夜明けた12日、大津波警報で避難していた沿岸部の住民らは徐々に帰宅を始め、復旧作業などに追われた。海岸線には津波に流された車や材木などが散在し、自然の脅威が残した傷痕が生々しく残っている。生活が元に戻る間もなく、今度は東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)1号機で爆発事故が起きた。道内の緊迫感は、さらに高まっている。

◇防波堤崩壊、漁船打ち上げ えりも町、3.5メートル津波襲う

道内で最大となる3・5メートルの津波を観測したえりも町に12日午前、入った。崩壊した防波堤、壊れた住宅の外塀、陸に打ち上げられた漁船……。激しい津波の爪痕が残る中、住民たちは復旧作業に追われていた。

3・5メートルの津波が襲った襟裳岬東側の庶野地区。道路にはがれきやブロックが散らばり、アスファルトがめくれ上がる。地元漁師によると、港に停泊していた漁船数隻が沈没。約20隻の大型漁船は地震直後、沖合約3キロに一斉避難したという。漁師の男性(42)は「見たこともないぐらい大きな波が押し寄せ、それから一気に引いていった」と話し、沖合の僚船に食料などを届けるため、小型漁船に乗り込んだ。

海岸沿いの国道は通行止めが続く。海岸線に広がる新浜地区では、防波堤の一部が崩れて津波が流れ込んだ。住宅は外塀が崩壊し、大量の砂利が車庫や玄関に流れ込んだ家もあった。自宅前で砂利をシャベルでかき出していた女性(53)は「車庫の中が海水でかき混ぜられてぐちゃぐちゃになった。海も荒れていて怖い」。表情はこわばっていた。

町役場などによると、津波は秒刻みで何度も押し寄せ、住宅24棟と小屋や車庫など56棟の計80棟が浸水。海岸沿いの国道も冠水し、付近に止めてあった乗用車も津波にのまれたという。

役場前の商店街では、両側の飲食店や住宅に海水が入り込んだ。避難指示はまだ続いていたが、津波や余震の不安を抱えながらも、一時帰宅している住民が多い。床にこびりついた土砂をかき出していた飲食店主、真田祐介さん(34)は「店内は砂だらけ。エアコンの室外機も壊れた」。居酒屋店主の景山敏博さん(48)は「調理場まで水浸しだ。一日かけて掃除するよ」と苦笑していた。【金子淳】

◇函館の観光、大打撃 朝市、赤レンガ倉庫 何度も冠水、散乱

津波による死者1人が確認された函館市。日ごろ多くの観光客でにぎわう函館朝市や赤レンガ倉庫群は12日未明まで何度も冠水を繰り返し、大打撃を受けた。

朝市では一夜明けた12日も、長靴でないと歩けないほど泥水が残り、商品の飾り棚や商品を入れた発泡スチロールが流されて道路に散乱していた。自動販売機も倒れている。むき出しになって泥をかぶった毛ガニも転がっていた。

水産物を販売する中野文治さん(64)は「冠水は高さ約70センチに達し、カニの水槽が水没して使い物にならなくなった。被害は数百万円」とため息をつく。漬物店の女性(74)は「高さ1メートルを超える漬物だるが流された」と語り、被害を免れた商品を電気を落とした店内から運び出していた。

朝市の裏手に、津波で亡くなったとみられる手倉森圭治さん(67)が住む共同住宅がある。狭い路地を抜けた所にある平屋の長屋。函館西署の調べでは、室内には床上46センチまで浸水した跡があり、家具も流されていたという。手倉森さんを知る男性(65)は「長くトンネル関係の仕事をしていて、無口で男らしい人だった。それほどの冠水とは思わなかったが……」と寂しそうに語った。

近所の男性によると、手倉森さんはデイケアのサービスを受けており、少し体が不自由だったらしい。同署によると、同居していた女性と昨年死別。地震直後には近所の知人女性が声をかけたが「写真(遺影)があるから、おれはいいや」と言って逃げなかったという。発見時は、スエット姿で横向きに寝ている状態だった。【近藤卓資】

◇津波被害 港内に魚箱、ドラム缶 釧路川に丸太漂流

国内有数の漁業基地・釧路港では、11日深夜になって最も大きい2・1メートルの津波を観測した。沖合いに避難していた漁船は夜明けとともに帰港し始めたが、港内には津波で流された魚箱やドラム缶、プロパンのボンベなどが多数漂流。「栄山丸」船主の大西洸二さん(76)は「100個以上の魚箱などが流された。船は無事だったけど、30万円近くの被害にはなる」と声を落とした。

釧路市中心部を流れる釧路川では、川上にある貯木場から丸太数十本が流出。数キロにわたって川面を漂い、水位が変動するたびに驚くほどの速さで上り下りを繰り返した。

冠水は河口周辺まで及び、近くの観光施設「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」の前は厚さ数ミリから数センチの泥が敷き詰められたように広がり、足跡や自転車のタイヤ跡がくっきりと残っていた。MOOは冠水で電気系統がダウンし、復旧まで1週間程度かかる見込みという。

襟裳岬の東岸に位置する豊頃町の大津漁港では、船着き場に停泊していた28隻の漁船が陸地に打ち上げられ、散乱したごみや漁具とともに大きく傾いて点在していた。また漁船17隻が津波を避けようと沖に出たまま停泊していたが、順次帰港を始めた。

同漁協の前川啓一理事(65)は「これだけ多くの船が陸に打ち上げられたら、造船所も修理に対応しきれないだろう。いつ漁を再開できるかも分からない」とショックを隠さなかった。

また、根室市の花咲港では最大2・8メートルの津波を記録し、津波が漁協の倉庫まで押し寄せたほか、魚を冷蔵・冷凍する水産加工場などが一時停電した。【山田泰雄、三沢邦彦、田中裕之、本間浩昭】

◇福島原発、爆発事故 「即座の対応、必要なし」 継続的な警戒「冷静に」

福島第1原発で12日、原子炉建屋で起きた爆発事故。福島県と道内は直線距離で450~900キロと離れており、「即座に避難などの対応は必要ない」(道原子力安全対策課)とみられているが、今後も継続的な警戒は必要だ。22カ所。これまでのところ、測定値の異常は報告されていない。道は当面、同原発の線量計データをチェックするとともに、国などから情報収集に努めたい考えだ。

北電が2012年にも泊原発で始めるプルサーマル発電に関するシンポジウムでパネリストを務めた九州大大学院の出光一哉教授(核燃料工学)は「福島原発の正門付近では自然レベルよりはかなり高い1時間当たり1ミリシーベルトの放射線量を記録している。ただ、仮に道内に放射能が届いたとしても濃度は薄まっているはずで、福島と同様な措置は必要とはならない。引き続き余震と津波被害への警戒に注力すべきだ」と話す。

道のプルサーマル計画に関する有識者検討会議の会長を務めた成田正邦・北大名誉教授(原子炉工学)は「なぜ外側の建屋が吹き飛んだのか。普通は起こり得ない」と驚きながらも、「放射能が北に吹く風に乗れば道内に流れ着く可能性もあるが、今の時期は西風が普通なので可能性は低い」と話し、冷静な対応を求める。

一方、放射線防護学が専門の安斎育郎・立命館大学名誉教授は「福島原発は営業運転開始後40年の老朽施設。耐用年数の問題とか、他の原発の運転停止を含め、議論しなくてはいけない」と話す。【鈴木勝一、中川紗矢子】

毎日新聞
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110313ddlk01040082000c.html