【拙文】元十両 日出ノ国関による問題発言について
先日、こんな記事を目にした。
元十両 日出ノ国関が「相撲は神事でもあり、四股を踏むと言うのは、四股と言われる魔物を踏みつける意味があるのに……。場所を開催しないから、こんな大地震が起きるんですよ!! 相撲の神様が怒ってる!力士は、新築の家を建てる土地でも地鎮祭に呼ばれてその土地で、四股を踏むんです。早く、場所を開催して下さい。ごっちゃんです」と自身のブログで語り、言わば「炎上」状態へ陥った為、昨日12日に発言した記事を削除し謝罪文を掲載したとと言う。
地震の原因「大相撲を開催しないから」 YUCASEE MEDIA
http://media.yucasee.jp/posts/index/6937
解らないでもないと思った。日出ノ国関を糾弾した人々の気持ちと、日出ノ国関自身の気持ちの双方がである。
自分は以前からプロフィールや方々のブログへのコメントで「神話を中心とした民俗学が趣味だ」と発言してきた。
なので、民俗へ溶け込んだ様々な魔術や呪術儀式も同様に民俗学知識の一端として知っている。
無論、今回の日出ノ国関が発言した「四股踏み」も日本古来より伝わる「禊祓(みそぎ ばら)い」として認知していた。
だからこそ強く感じるのは日出ノ国関の説明が非常に下手だ。
日出ノ国関を擁護する気は更々無いが、自分が今回の発言へ捕捉をしようと思う。
日出ノ国関が語った様に、四股と言う魔物を踏みつけるのが四股踏みである。
しかし日出ノ国関の説明が足りず、更に元力士である為か大相撲へ強く結びつけてしまい、利己主義過ぎると糾弾された。
日出ノ国関は説明が足りない。そして勉強不足である。
先ずは「四股」の語源から語るのが学術としての適当なアプローチでは無いだろうか?
早速、答えを出してしまうが「四股」の語源は「醜」であり、字意の如くに醜いものの事だ。
つまり、「四股踏み」とは「醜踏み」と読み替えるのが適当である。
「醜」と言う魔物とは何か?だが、これも早速答えを言うと「鬼」だ。
醜と言う文字の作りからもよく解る。力士は鬼を強く踏み締めていたのである。
これで多くの人々が力士が土俵で何を踏み締めていたかをイメージして戴けるだろう。
そして「鬼」と言っても赤鬼や青鬼と様々居る事をご存じだろうが、古神道時代まで遡れば本来の「鬼」がどんなものかが解る。
一部の民俗学ファンやファンタジーファンの中には「鬼や妖怪は神が零落した姿だ」と知っている者も居ると思うが、鬼を限定に正確な情報を記すると「鬼は本来、各地方の有力者が信仰していた天候神」である。
つまり、古代の日本は太陽神(天照大神)を信仰していた大和の人々と、各地方の天候神(鬼)の争いが頻発しており、太陽神が勝っただけ。
争いの最中、大和の人々は天候神を陥れる為に天候神を本来の名前で呼ばず、鬼と呼んで邪見にしたのだ。
しかし、太陽神が勝っても天候神の人気は衰えず、伝統芸能では愛すべきキャラクターの一つとして演じられたり、江戸時代では「風の神 雷門に 居候」と詠まれる等、民衆は親しみを持って接していた。
風神や雷神を見て解る様に鬼は天候神であり、地震や津波、落雷の象徴として今も生きている。
さて、醜踏みの話に戻るが、醜踏みを禊祓い呪術として成立させるには、ただ地面を踏み締めるだけではいけない。
醜踏みの成立には「地面を踏む」の他に「強者」が必要なのだ。
この「強者」とは代表的に力士となっては居るが、伝統的表記をすると「千磐破人(ちはやぶるひと)」と書く。
または「千速振」とも書くが、「ちはやぶる」の単語で文学的知識に長けた人は直ぐに感付いたのでは無いかと思う。
「ちはやぶる」は短歌の枕詞であり、続けて使わなければならぬ単語は「神」である(正確には神に掛かるのが千磐破)。
強者が鬼を踏み締め神を呼ぶのが醜踏みの真の意味だ。
「千磐破」は「宇治」にも掛かる枕詞だが、宇治と言えば宇治川であり、古来から一つの難所として認知されてきた。
そこに居るのが宇治川の端と端を舟で繋ぐ端渡しに従事する人々であり、この人々が「千磐破」の語源である。
千の岩(磐)を破壊すると思わせる程に屈強な男達は、宇治川の急流をものともせず、まるで「水の神(鬼/天候神)を制圧する」が如く端を渡した。
つまり、千磐破人は古来から言わば神殺しを可能にすると見られていたのだ。
これが醜踏みの全てである。
長々と語りましたが被災地で亡くなった方々に御冥福を御祈り致します。
そして、御存命の方々は強い心を持ち、亡くなった方々の代わりにもしっかりと立ち上がりましょう。
自分もお助けしたいと考え、少額ながら義援金を送付させて戴きました。
被災地で生き抜こうとする方々、心を痛めて御助力を申し出る方々、そんな皆さんが「真の千磐破人」だと自分は思います。
我々が復興へ向けて強く地面を踏み締め歩む事が出来るならば、この不幸は必ずや晴れる筈です。
PS.この記事は日出ノ国関の発言が無ければ書けなかったもの。どうか許して挙げて下さい。
元十両 日出ノ国関が「相撲は神事でもあり、四股を踏むと言うのは、四股と言われる魔物を踏みつける意味があるのに……。場所を開催しないから、こんな大地震が起きるんですよ!! 相撲の神様が怒ってる!力士は、新築の家を建てる土地でも地鎮祭に呼ばれてその土地で、四股を踏むんです。早く、場所を開催して下さい。ごっちゃんです」と自身のブログで語り、言わば「炎上」状態へ陥った為、昨日12日に発言した記事を削除し謝罪文を掲載したとと言う。
地震の原因「大相撲を開催しないから」 YUCASEE MEDIA
http://media.yucasee.jp/posts/index/6937
解らないでもないと思った。日出ノ国関を糾弾した人々の気持ちと、日出ノ国関自身の気持ちの双方がである。
自分は以前からプロフィールや方々のブログへのコメントで「神話を中心とした民俗学が趣味だ」と発言してきた。
なので、民俗へ溶け込んだ様々な魔術や呪術儀式も同様に民俗学知識の一端として知っている。
無論、今回の日出ノ国関が発言した「四股踏み」も日本古来より伝わる「禊祓(みそぎ ばら)い」として認知していた。
だからこそ強く感じるのは日出ノ国関の説明が非常に下手だ。
日出ノ国関を擁護する気は更々無いが、自分が今回の発言へ捕捉をしようと思う。
日出ノ国関が語った様に、四股と言う魔物を踏みつけるのが四股踏みである。
しかし日出ノ国関の説明が足りず、更に元力士である為か大相撲へ強く結びつけてしまい、利己主義過ぎると糾弾された。
日出ノ国関は説明が足りない。そして勉強不足である。
先ずは「四股」の語源から語るのが学術としての適当なアプローチでは無いだろうか?
早速、答えを出してしまうが「四股」の語源は「醜」であり、字意の如くに醜いものの事だ。
つまり、「四股踏み」とは「醜踏み」と読み替えるのが適当である。
「醜」と言う魔物とは何か?だが、これも早速答えを言うと「鬼」だ。
醜と言う文字の作りからもよく解る。力士は鬼を強く踏み締めていたのである。
これで多くの人々が力士が土俵で何を踏み締めていたかをイメージして戴けるだろう。
そして「鬼」と言っても赤鬼や青鬼と様々居る事をご存じだろうが、古神道時代まで遡れば本来の「鬼」がどんなものかが解る。
一部の民俗学ファンやファンタジーファンの中には「鬼や妖怪は神が零落した姿だ」と知っている者も居ると思うが、鬼を限定に正確な情報を記すると「鬼は本来、各地方の有力者が信仰していた天候神」である。
つまり、古代の日本は太陽神(天照大神)を信仰していた大和の人々と、各地方の天候神(鬼)の争いが頻発しており、太陽神が勝っただけ。
争いの最中、大和の人々は天候神を陥れる為に天候神を本来の名前で呼ばず、鬼と呼んで邪見にしたのだ。
しかし、太陽神が勝っても天候神の人気は衰えず、伝統芸能では愛すべきキャラクターの一つとして演じられたり、江戸時代では「風の神 雷門に 居候」と詠まれる等、民衆は親しみを持って接していた。
風神や雷神を見て解る様に鬼は天候神であり、地震や津波、落雷の象徴として今も生きている。
さて、醜踏みの話に戻るが、醜踏みを禊祓い呪術として成立させるには、ただ地面を踏み締めるだけではいけない。
醜踏みの成立には「地面を踏む」の他に「強者」が必要なのだ。
この「強者」とは代表的に力士となっては居るが、伝統的表記をすると「千磐破人(ちはやぶるひと)」と書く。
または「千速振」とも書くが、「ちはやぶる」の単語で文学的知識に長けた人は直ぐに感付いたのでは無いかと思う。
「ちはやぶる」は短歌の枕詞であり、続けて使わなければならぬ単語は「神」である(正確には神に掛かるのが千磐破)。
強者が鬼を踏み締め神を呼ぶのが醜踏みの真の意味だ。
「千磐破」は「宇治」にも掛かる枕詞だが、宇治と言えば宇治川であり、古来から一つの難所として認知されてきた。
そこに居るのが宇治川の端と端を舟で繋ぐ端渡しに従事する人々であり、この人々が「千磐破」の語源である。
千の岩(磐)を破壊すると思わせる程に屈強な男達は、宇治川の急流をものともせず、まるで「水の神(鬼/天候神)を制圧する」が如く端を渡した。
つまり、千磐破人は古来から言わば神殺しを可能にすると見られていたのだ。
これが醜踏みの全てである。
長々と語りましたが被災地で亡くなった方々に御冥福を御祈り致します。
そして、御存命の方々は強い心を持ち、亡くなった方々の代わりにもしっかりと立ち上がりましょう。
自分もお助けしたいと考え、少額ながら義援金を送付させて戴きました。
被災地で生き抜こうとする方々、心を痛めて御助力を申し出る方々、そんな皆さんが「真の千磐破人」だと自分は思います。
我々が復興へ向けて強く地面を踏み締め歩む事が出来るならば、この不幸は必ずや晴れる筈です。
PS.この記事は日出ノ国関の発言が無ければ書けなかったもの。どうか許して挙げて下さい。