高校時代 優勝なくても成長を実感(スピードスケート 岡崎朋美) | くしろぐ

高校時代 優勝なくても成長を実感(スピードスケート 岡崎朋美)

今回は本格的にスピードスケートの選手を目指す原点となった、北海道での高校時代を振り返ろうと思います。

私が入学したのは、実家から2時間ほど離れた釧路市立釧路星園高校。北海道にはスポーツで名門の帯広・白樺学園高校や駒大付属苫小牧高校がありましたが、「とてつもなく厳しい環境」との評判に、私の性格では無理だと判断。釧路星園高スケート部顧問の橋本裕治先生が「スケートが好きなら、うちにこい」と力強く言ってくださり、入学を決めました。

入部当時の釧路星園高はスケート部員10人、マネジャー2人の小さな部でした。男子と一緒に練習している共学の強豪校に勝つのは難しいことでしたが、女子高の私たちもインターハイ総合優勝を狙って頑張っていました。

強豪の白樺学園高には当時、高校時代からすでに世界を舞台に闘っていた島崎京子さんがいました。アルベールビル、リレハンメル、長野と3大会連続で五輪出場したスピードスケート選手です。同じ高校生でも近寄りがたい存在でしたが、私は「同級生の彼女にできて私にできないはずがない」と目標にして、練習に励んでいました。

なかなか結果が表れませんでしたが、「いつか必ず」という思いでした。すぐには無理かもしれないけど、今を大事にしよう。そう心に決めて練習していました。

結局、高校時代3年間では優勝できず、悔しい思いをしたのをよく覚えています。

個人成績はインターハイ女子500メートル4位が最高記録です。それでも、とても満足だった記憶があります。全体的な順位や成績は下の方でしたが、自己ベストも更新し、着実に力をつけている実感があったからです。

親のありがたみを知ったのも、このころです。自分で決めて15歳で家を飛び出た手前、弱音は吐けません。下宿先からたまに実家に電話すると意味もなく涙が出てきて、泣いていないふりをするのに一生懸命でした。

一緒に住んでいた時は反抗期もあり、困らせていたと思います。親のありがたみは離れてやっとわかるんですね。

今も両親は北海道。遠く離れてはいますが、いつまでも親孝行できるように、頑張りたいと思う日々です。

朝日新聞
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000201103080001