【拙文】船乗りから見たシーシェパード | くしろぐ

【拙文】船乗りから見たシーシェパード

航海士の知識を学んだ者ならば、どの国の何者であれシーシェパードについてこう口にするだろう。
「シーシェパードは危険な海賊だ」

シーシェパードが日本による南極海の捕鯨を邪魔してるから、そんな風に言う航海士は日本人航海士だけじゃないか?と考えるかも知れないが、海技士資格は自動車運転免許よりもしっかりと国際条約の元に制定されている「揺るがない資格」である。

それらを定めるのが国連の国際海事機関(略称 IMO)であり、海技士資格に関する条約が「船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約(略称 STCW条約)」および「漁船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約(略称 STCW-F条約)」だ。
IMOの存在並びに海上運行へ関する国際条約も学ぶ事となっていて、例えば「海洋航行の安全に対する不法な行為の防止に関する条約(通称 シージャック防止条約、略称 SUA条約)」も学んでいる。

事実的に自分もこれらの条約を「海事法規」と言う授業内で習っており、長すぎる条約名(殆んどの条約名が長い)とその略称、更に条約内容の記憶に苦労した覚えがある。

危険な航行や海賊行為とはどんなものか?が国際条約と各国の法規で定められており、それらを学んだ世界中の海技士はシーシェパードについて「シーシェパードは危険な海賊」だと言わざる得ないのだ。
言わざる得ないとは、各国の海技士の中にはシーシェパードの捕鯨反対論に賛同する者が少なからず居るからである。

しかし、海技士達はシーシェパードへ寄付をしたりはしないだろう。間違いなくシーマンシップに反するやり方だから。

船乗りには船乗りの誇りがあり誉れがある。
この部分が船乗りの「プライドが高い」や「傲慢だ」と言うイメージを作り出す要因であるが、狭い船内や危険の多い海上では決して引いてはならぬ規則があり、規則へ重きを置く船乗りらは堅物だと思われ易いのだ。
規則を守ると言うのが船乗りの誇りであって、良い船乗りとされる者は規則を守る者、それが誉れ、これらがシーマンシップ。
海賊足り得るシーシェパードは、全ての海技士が糾弾する対象であっても寄付する対象では無いのだ。

ここからは日本人海技士としての意見になるが、シーシェパードの鯨類保護にも自分は疑問符を浮かべざる得ない。

その理由は「髭鯨」と「歯鯨」の違いである。
絶滅危惧種として多くを指定されているのがヒゲクジラ類、日本が主に捕獲しているのがハクジラ類だ。
ヒゲクジラ類の主な食性は海面を浮遊するプランクトンであるのに対し、ハクジラ類の主な食性は魚類である。

漁網を破壊して漁師を困らせているイルカは絶滅危惧種では無いハクジラ類だ(イルカは小型の鯨類)。
この時点でシーシェパードによる「鯨は絶滅危惧種であり」と言う主張は崩れてしまう。

次に「鯨は頭の良い生物であり」と言うシーシェパードによる主張だが、これは動物学的にも証明されていないものである。
自分は小樽水族館のイルカショーを行っているトレーナーと会話した事があるが、イルカへ芸を覚えさせるには笛の音を覚えさせる事から始まるそうだ。
餌を与える前にピッと笛を鳴らし餌を与える。これを繰り返す内にイルカは笛が鳴ると餌を貰えると覚える。
次にたまたまイルカがジャンプした時に笛をピッと鳴らし餌を与える。ジャンプしない個体には餌を与えない。これを繰り返す内に笛が鳴った時にジャンプをすると餌を貰えると覚える。
トレーナーは徐々にイルカの動作に合わせて細かな笛と手振りを加えて行き覚えさせるのだそうだ。
この様な訓練を経てイルカショーを行っているのだから「頭が良い」と言われても、う~ん・・・と悩んでしまう。

例えば「イルカ(クジラ)は可愛いから食べたくない」と言う主張をする者が居るとするのなら、ブタは可愛いく無いのか?ウシは可愛いく無いのか?ウマは?ヒツジは?とツッコミを入れたくなる。

特に北海道民が好んでよく食べるラム肉だが、あれは永久歯の生えていない生後12ヵ月未満の子羊の肉だ。子羊は可愛いだろう?
競馬ファンならよく御存知だろうけれど、競馬場で元気に走って活躍していた多くの競走馬の行く末は食用の馬肉である。
お金持ちが馬肉にするのは酷だと言って買い取る事は稀にあるが、多くの競走馬は馬肉になって美味しく食べられる。

中国ではネコを食べ、韓国ではイヌを食べる。他国で食べられていないものが自国では食べると言う事はよくある事だ。
ちなみにヒツジとウマは西洋圏でもよく食べられているので日本だけ、アジア圏だけと言うわけもない。クジラもである。

ベジタリアンの中には動物肉を可哀想だからと言う者も居るが、単細胞生物である粘菌が迷路を解くと言う研究がイグノーベル賞を獲得したのは記憶に新しい。
研究者の中垣氏は「日本で単細胞は頭が悪いと言う意味がありますが単細胞って実は頭が良いんです」と言っていた。
意思が無いから野菜は大丈夫と言う論理が(個人的に可愛いくない)粘菌で崩れてしまったのだから世話が無い。

日本には「いただきます」文化がある。
つまり命を戴きますであり、命への感謝の意を現す良い文化だと思う。
祖父母が居て父母が居て自分が居る。様々な命の犠牲の元に自分が居る。
西洋のキリスト教では人間(アダムとイブ)の根元である父なる神へ感謝しない事は、自らの父母、祖父母、祖先へ感謝しないのと同義だと教えられるのだ。
食前の祈りで神に感謝の意を現せるのならば、全ての命へ感謝の意を現す「いただきます」文化だって理解出来るはずだ。

釧路沖へ来るかも知れないと懸念されるシーシェパード。
釧路はシーシェパードが来訪したら国賓並みの扱いで向かい入れ立食パーティーでも開いたらどうだろうか?
勿論、メインディッシュは鯨肉で「いただきます」と。