【拙文】アイヌ民族への差別って何? | くしろぐ

【拙文】アイヌ民族への差別って何?

自分は取り敢えず皆さんに聞いてみたい「あなたは大和?アイヌ?」と。

稀にTVで流れる「北海道の先住民であり~」「アイヌ差別に対し~」と言う文句、自分はこれに疑問を感じてしまう。
先に質問した通り、自分達北海道民は自分が大和なのかアイヌなのかよく知らない。と言うか興味無いと言うのが真実だろう。
人間も動物なのでその社会の中にはイジメ行為が起こり得るものだと思う。自然の摂理と言ってしまえばそれまでだが。
ここまで大和とアイヌが通婚し混血した状況下の中、アイヌを集中的に狙いイジメや差別を行う事は実質的に不可能な筈だが、何故か未だに差別されていると言うのを報道で聞く。そして報道でしか聞かないわけだ。
マスコミを批判する訳では無いが、ここら辺の疑問を道産子ワイドや、のりゆきのトークDE北海道、各々の報道番組で行っても良いと思うのだがどうだろうか?

そもそも民族の定義って何?
DNAの系譜か?そうだと言うのならばアフリカのミトコンドリア・イブが根本なので人類皆兄弟である。
言語を含む文化の単一性か?そうだと言うのならばクロアチア人とセルビア人は何故戦争しているのだろう?言葉も文化も同じである。
民族の定義についてしっかりとした解答が出来る学者が居るのなら連れて来いと思わずには居られない。
そう、学者ですら答えられないのが民族の定義だったりする。

時代は遡る。二代目征夷大将軍の坂上田村麻呂は西暦801年(延歴二十年)の蝦夷征伐に成功し、翌802年(延歴二十一年)に胆沢城を建設する為、再び蝦夷の地へ訪れた。
実は西暦789年(延歴八年)に大伴弟麻呂率いる蝦夷征伐軍へ副将として参戦していた坂上田村麻呂は、蝦夷軍大将の阿弖流為(アテルイ)の知略の前に完敗を喫している。
それもあり坂上田村麻呂はアイヌを大変高く評価していたが、再び蝦夷へ訪れた時に阿弖流為は自らの母や部下500人余りを引き連れ坂上田村麻呂の前に現れて降伏した。
その勇気に感服した坂上田村麻呂は全員の生命の保証を約束し、阿弖流為と母を京へ連れて帰った。京へ連れて帰った理由はアイヌの人々を大和とする為である。
しかし、坂上田村麻呂による阿弖流為の助命申請を当時の貴族らはそれを棄却し、阿弖流為とその母は処刑されてしまう。
その後、亡くなった阿弖流為とその母へは墓が建立され丁重に葬られたのは坂上田村麻呂の想いからか。

これが約1,200年前の話。大和とアイヌの友情は1,200年も前に始まっていた。
そして現在、北海道民はアイヌ人では無く、大和人でも無く「日本人」として生きている。
1,200年前に撒いた友情の種は、1,200年後の現在で大きく美しく花咲き乱れているのは言うまでも無い。

アイヌとは「人間」と言う意味の他に「善人」と言う意味があるのを御存知か?
「善人」があれば「悪人」と言う意味の言葉もある。それをウェンペと言う。
今もアイヌ差別はあると声高々に叫ぶ自称アイヌ人は、坂上田村麻呂と阿弖流為、そしてこの記事を読んだ現代北海道民へ同じ事が叫べるだろうか?
アイヌ人では無く、大和人でも無く、日本人として現代アイヌ差別論者へ自分は声高々に叫んでやろう「愚かなウェンペ!」と。