行ってみたいのはねぶた祭り

中三の一年間受験より 読書中毒

たぶん逃避してたんだろう

漱石のそれから 三四郎 草枕も

この頃

特に はまったのが太宰治で

人間失格の沼

主人公にのめり込み

太宰のことは私が一番理解してるような錯覚に落ちた


そして青森に特別な思いがつのり

 その後寺山修司の映画でまたもや青森

そして極め付きは髙橋竹山

たぶん二十歳くらいのこの頃かなあ

津軽三味線 髙橋竹山のコンサートに行くことになり

それも定期的にある音楽や芸術の鑑賞団体だった

初めて聞いた生の津軽三味線

その後も津軽三味線を聞くことがあったけど 竹山の演奏は 聞いていただく音色

演奏会なので 勿論聞かせてみせようという演奏家の気持ちは当たり前

お笑い芸人が観客を笑わせたるという気持ちと同じかな

そこがま全く違うのが竹山

Amazonprimeで竹山のドキュメンタリー津軽カマリを観て知った

竹山が産まれた時代 津軽で目が見えなくなると女はイタコ 男は門付け三味線を弾き ボサマ(坊様)になるしかなかったという

あの松本清張の砂の器の親子みたいに 巡礼

だから 根本から初代髙橋竹山の音色は違う

餓死しそうになった時助けてくれた韓国人への感謝を忘れることなくアリランを演奏する竹山


一度だけ聴いた初代竹山の言葉

「今年は雪が少なくて 盲目には感謝?なことなんだども 雪国に雪ふらないと困る人もいる」

雪国では雪かきはじめ 様々な雪国だからこその職業があることを教えてくれた


今も忘れない

 

 


 

 



 

 



 

 



 

 



 

 


 

 



 

 



 

 



 

 

 

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