随分とご無沙汰してしまったが、読者諸兄は変わりなく、元気に過ごされているだろうか?



すっかり間が空いてしまったのには、二つ理由がある。

一つは、小生の人生にも色々な変化があり、それは概ね良い方向に向かっていると捉えて良いものであるから、こうしていつまでもペシミズムに浸ってばかりいるわけにもいくまい、と考えたこと。もう一つは、変化に伴って心身の不調を覚え、それがほぼ鬱病といって差し支えない現在の小生の健康状態から来るものと判明し、かような鬱屈したブログをしたためることが、病状にマイナスになりこそすれ、プラスに働くことはまずないであろうと考えたことである。



そんな小生に再び筆を執らせるきっかけとなったのが、安倍元総理の銃撃事件である。

思えば暗い時代になったものである。

かような、孤独な青年或いは中年男性が自暴自棄になり暴発する、という事件は、京アニの事件が端緒であろうか、否、秋葉原の時間かもしれぬ。かような一種のテロリズムは、かつて日本や世界を震撼させた数々のテロ事件とは明らかに異質なものであると考える。



911連続テロ、イスラム国やアルカイダのテロ、オウム真理教、日本赤軍、さらには原敬や濱口雄幸も東京駅で襲われ命を落としている。
(余談だが、東京駅には今でも事件現場に印がつけてある。大和西大寺の駅前にも、いずれ何かの印がされるのであろうか…。)
が、これらのテロは、勿論その手段は明らかに誤っているが、例えばそれは信仰であったり、信念であったり、「明るいテロ」というのもおかしいが、そこには何かを変えようというエネルギーの迸り、あるいは熱い気概が感じられるとも言える。

翻って今日日本を震撼させている数々の事件は、むしろ何かを変えることに絶望し、ならばいっそと破壊を目論む、冷たく、暗いテロリズムなのである。
旧来のテロリズムは、最早この国では過去の考えになってしまったのかもしれぬ。

さて、ネットニュースで一つ興味深い記事を見たのだが、それは、

「我々の社会は、『気持ち悪い』『怖い』人間を隅に追いやることで、清潔に保たれている。しかし、追いやられた側は必ず復讐を誓う。この仕組みは国民全員でロシアンルーレットをやっているようなものだ。」

というものであった。しかし誰も、そのロシアンルーレットがまさか元総理に的中するなど、夢にも思わなかったのではないか。


話は変わるが、近頃歌舞伎町では「トー横キッズ」なる集団が闊歩、いやたむろしているそうであるが、小生は彼らにもまた同じような暗く、冷たい空気を感じるのである。


彼らを「現代のヤンキー」と評している記事を見たことがあるが、それは不適切な表現であろう。

彼らはやはり、昭和のヤンキー達のように、何かに反駁したり、或いは己の力で何かと戦ったりはしない。ただ行き場なく、最大公約数的な格好をし、場所を共有しながらただひたすらに携帯電話という仮想空間に閉じこもるように見える。

彼らが使うのは、麻薬ではなく風邪薬。そういったところにも、優等生的な不気味さと幼さが感じられる。いわば、彼らも「陰キャ」の一種であり、その在り方は今までの不良とは間違いなく一線を画しているのである。


これらの流れから見れば、「一億総陰キャ」は言い過ぎだが、間違いなく「キモい」「暗い」という人間は時代の趨勢となり、かような存在を無視できなくなる世界がもうすぐそこまで来ているのではないか?と小生は思うのである。


これが良いことなのか、悪いことなのかは小生には分からない。ある意味、暮らしやすくなる者も増えることであろう。今まで我が世の春を謳歌していた「陽キャ」たちこそ、耳障りで忌避される存在になっていくのかもしれない。


こんな時代だからこそ、それが陰でも陽でも、生きられる道に縋り付いて、生きていくしかないのだろうか。

ジョーカーに焼き討ちされた、京王線の8705F車両も、もう何事もなかったかのように忙しく走り回っている。一度偶然にも乗る機会があったが、静かで平穏な車内からは、あの惨劇はまるで想像がつかぬようであった。

ニュース映像を参考に、彼が座っていたのと同じ座席に座る。窓の外にはただただ静かな街並みが広がるばかりで、前の席では全員が携帯に夢中だ。彼の心中は、まだ小生には分かるようで分からないようだ…。