過去ブログから何度も使い回し恐縮ですが

くさせんりの手元に残る唯一のキハ82系特急形気動車の画像。特急「南紀2号」のキハ82 84(名ナコ一)。1983年2月8日の早朝、紀伊勝浦駅にて撮影いたしました。


学生時代の春休み、南近畿ワイド周遊券を握りしめての紀伊半島乗りつぶし旅でのひとコマであります。この時がキハ82系初体験で紀伊勝浦から多気まで乗りました。グリーン車あり食堂車なしの6両編成だったことを記憶してます。


恥ずかしながらキハ82系の乗車経験は僅か2回しかありません。あと1回は特急「まつかぜ4号」で黒崎から出雲市まで。こちらはグリーン車はもちろん食堂車も連結されていて、食べたメニューは忘れちゃいましたが食堂車キシ80でのひとときを楽しんだものです。


キハ82系と言えばやっぱり北海道を連想します。サークルの夏合宿で渡道した際に乗っておくべきでしたが、その頃はキハ183系の導入が始まっており、乗車機会に恵まれなかったのが残念でなりません。




さてNゲージ鉄道模型でキハ82系が製品化されたのは1975年のこと。カトー(関水金属)さんが181系電車を発売する1年前でした。


それまでの103系電車やキハ20系気動車とは車体の造作や動力装置が大幅に変わったキハ82系、それからのカトー製品に多大な影響をもたらしたのは言うまでもありません。


カトーの初代キハ82系は製品化当初はキハ82・キハ80・キロ80・キシ80の4車種。動力車(M車)はキシ80になってました。


くさせんりも181系電車とほぼ同じ時期にキハ82系を手に入れ、キハ82+キロ80+キシ80(M)+キハ80+キハ82の5両編成で走らせましたよ。


ただ、実車が時代の流れとともに食堂車が編成から外される様子をを時刻表や鉄道趣味誌で見るにつけ、模型のキシ80が動力車なのに違和感を覚えてしまい、ついにキシ80の動力装置を外してキロ80に移植し、キロ80の足回りをキシ80へ。つまりキシ80をT車化してキロ80をM車化すると言う入れ替えを行いました。若き日のくさせんりには大変な作業でしたが、何とかやり遂げることが出来ました。


カトーさんの初代キハ82系、その後の再生産の折に動力車がキシ80からキハ80へ変更されたのはNゲージファンの皆様がご存知の通りですね。苦労して足回りを入れ替えた、くさせんりの初代キハ82系編成もいつの間にか手放してしまいましたが…。



いやはや、それにしても若気の至り。足回り入れ替え、何であんな無謀なことをやったのかと思いますね。今のくさせんりじゃ、絶対無理ですよ。決してお勧め出来ません。




今宵は、この辺で失礼いたします。