2004年1月5日月曜日。20年前のJR熊本駅。

朝7時過ぎ、改札口前の1番のりば。新大阪発西鹿児島ゆき寝台特急「なは」が到着。

多客期のため増結の熊本止まり付属編成2両を切り離す作業が行われております。

停車時間5分。ホームの川尻方へ早足で移動。

この日の牽引機はED76 69号機。車体色はやや退色気味。


再びホームの上熊本方に戻ります。

熊本までの付属編成切り離しが終わり、

西鹿児島ゆきの基本編成が発車。

切り離された「なは」付属編成はDE10に牽かれて一旦上熊本方へ引き上げ、洗浄線へ。

「なは」付属編成を追っかけたついでに、3面7線の一番西端のホームとなる4・5番のりばに暫く佇みます。

隣のホーム3番のりばのキハ40系気動車と4番のりばの815系電車。

「なは」付属編成移動のお手伝いを済ませたDE10 1207号機。

「なは」付属編成はオハネ25+オハネフ25。

5番のりばに三角からのの通勤列車が気動車5両編成で到着。上熊本方の先頭車はキハ65 518。長崎からの転属車のため「シーサイドライナー」塗装。キハ65 500番台は寒地向けに登場したんですが、何故か九州へ辿り着いたのが3両。この518が最後の生き残りでした。


川尻方のキハ31+キハ31は再び三角へ向かい、残った上熊本方のキハ58+キハ65+キハ65(多客期なので増結)は人吉ゆき急行「くまがわ1号」に充当されます。

川尻方の「くまがわ」1号車はキハ58 613。

「くまがわ」の発車を見たかったんですけれど、そろそろ山鹿へ戻らねばならず、後ろ髪を引かれる思いで5番のりばを後にしました。




今宵は、この辺で失礼いたします。