酔いどれ人生ゲーム -2ページ目

岡本太郎の言葉

先日、古本屋の100円コーナーにて発見したこの本。

強く生きる言葉/岡本 太郎
¥1,050
Amazon.co.jp


もともと岡本太郎には、尊敬というか、敬意というか、人間としての器の違いのようなものを感じていました。
幼い頃は、「爆発だー!」っていう変な人としか思っていなかったけれど、歳を重ね、彼の生き様を知ると、芸術家というよりも思想家の面もあったのだろうと思えてならない。

たまたま、古本屋で手に取り読んでみると、本当に彼は「人間」として強く生きようとしたんだということが分かる。
同時に、生きる術のようなものを表現している表現者であるような気もする。

『人生は、他人を負かそうなんてケチくさい卑小なものじゃない。』

『逃げない、はればれと立ち向かう、それがぼくのモットーだ。』

『カッコよく生きようとするのは自分自身に甘えてるにすぎない。
カッコウにとらわれそうになったら、自分を叩きつぶしてやれ。』

『他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。』

良い言葉に出会いました。
そうだ、自分の歌を歌えばよいのだ!



未来とは、アーティストとは、表現者とは

今年のTEDxTokyoの公演を色々とYoutubeで見ています。
みなさん、色々なテーマでしゃべられていますが、このイベントでしゃべる方々は本当に刺激的な方ばかりです。

今年はやはり特に震災に関連したことを話される方もいます。

現在社会の非人間的な部分は、残念ながら社会全体では大部分を占めていると思います。
実際に、このブログもすべてがデジタルで、感情も表情も、もしかすると気持ちさえ伝わらないメディアかもしれません。

今回の震災では様々なことがクローズアップされますが、実際に現地で起こっていることや、そこの空気感はテレビやメディアを通して理解することなんてできない。
生身の人間として、生身の地球の上で起こっていることは、やっぱり、同じ風の中でしか分からないと思います。その手助けをするのが、デジタルな社会であり、「技術」や「革新」なのだと思います。

様々なメディア(ツイッターやら、SNSやら)が震災でも活躍していますが、結局はそれを使う人たちが整理及び精査しなければならないし、実際に震災時には、そのバランスがうまくいったケースもある。そういう意味では、今、本当に今現在の日本社会は、そのバランスがとれていないのだろうと痛切に感じます。

また、多くの「アーティスト」と呼ばれる人たちが、実際には表現者にさえなり得てない事実もあります。奇しくも、下記の映像で言われていますが、表現者とは自身の血肉の一部から吐き出すことのできる人のことだと思います。
確かに、時代の流れは必然ですし、それに刃向うのもおはしな話です。だけど、人間としての唯一無二のもの、つまりは創造力であったりとか、体現力というものを退化させる必要は全くない。
なのに、音楽にしろ、アートにしろ、文学にしろ、すべてが生命観のない存在になりつつある。
それが、「ライブに行かない人」、「美術館に行かない人」、「本を読まない人」などという人々を増やす原因なのだろう、かとも思う。

いずれにせよ、一見、無関係に思えるかもしれないが、アートな表現力を考えることは、未来を考えること、社会全体を考えることにつながるし、新しいアートな活動(体現者としての)は社会に役立つのではないか、と思う。

下記映像は、MIT教授の石井裕さんですが、色々なヒントがあります。


音楽は何かを変える

突然ですが、音楽や芸術は何のために存在するのか。

うーん、きっと答えは出ないでしょう。
でも、確かにいえるのは、音楽で喜怒哀楽を感じ取ることができるし、音楽が人を動かすということです。

阪神大震災後にFM802から最初に聞こえたのは、この歌でした。
それが震災後の最初の曲かどうか知らないけど、その流れてくるシーンを鮮明に覚えています。



彼らがスゴイとか、そんな風には思いません。
ただ、歌う彼らにはパワーがあるし、人を動かす何かがあると思う。


あと、やっぱりソウルフラワーユニオンをしっかりと知ったきっかけになった曲です。
このひとったちの音楽に対する気持ち、人に対する気持ちは、存在自体が音楽です。



キヨシローも阪神大震災時の事を曲にして、数曲歌っていたります。

やっぱり音楽は人を救うのだと思います。

決して商業的な音楽は否定しません。
ビジネスの世界である以上、それはやっぱりビジネスです。
でも、ミュージシャンは聖職だとも思います。

何か音楽でできないか。
そんなことを思っています。
東北だけではなく、この閉塞感漂う日本のために、音楽で何かを。


伝統芸能なのか、それともスポーツか

以前も、『相撲』は国技なのか、それとも伝統芸能なのか、それともスポーツなのか、というようなことを書いたことがありますが、一体全体、『相撲』とはなんなのでしょうか。

八百長問題。

何が問題なのか、正直、分からない。

プロレスは一つのエンターテイメント。
ボクシングは格闘技。
それじゃ、相撲は??

ご老体の方々は、「伝統と文化」という。
それならば、格闘技ではなく、文化だ。日本文化だ。

であれば、八百長という言葉は別にして、ストーリー通りの勝負展開を見せても良いのではないだろうか。
真剣勝負をして、張り手一発でノックアウトするよりも、見せ場が何度もある相撲の方が面白い。

これは落語や能楽といった伝統文化と何が違うのだろうか・・・。

甚だ疑問です。

伝統芸能とは、伝統文化とは、そういうところから考え直さないといけないのではないだろうか。
相撲界ではなく、それを取り巻く周辺が。



シビレタ言葉

地震の中でもシビレタ言葉たくさんあったけれど、もっと身近な言葉。

昨年から、ちょくちょく通っているバーのお話。

BAR ROE

大阪は北新地にあります。

ロックなバーですが、実はロックなバーではなく。
優しい雰囲気に包まれた、歌謡曲なバーです。

女性がオーナーで、自分でカウンターに立つバーです。

初めて行ったときに、その空気感に惚れて、よく行きます。

そのバーが、もうすぐ5周年。

お店のブログを見ていて、心底シビレてしまった言葉があります。

『よく、「初心を忘れるな。」と言うけれど、きっと、あたしはいつまで経ってもシロウトなんやろうなあ』

「いつまで経ってもシロウト」、いい言葉です。さすがです!

シロウトであり続けることの難しさ。そしてシロウトであることの大切さ、それが分かっているのでしょう。
シロウトであると言う事は、客商売で考えると、常にお客様目線であり続けるという事。
これ、出来そうで出来ない。

クロウトになるのは意外と簡単。
自分で宣言すれば、その時点でクロウトです。
でも、シロウトであり続けることは本当に難しい。

それを、「自分はいつまでもシロウト」と言える。
すごいな、ほんま。

BAR ROE行ってください。良い店です。

http://blog.livedoor.jp/barroe/





Operation Tomodachi 

個人的に、今回の菅首相の動きは褒めるべきものだと思います。
それと同様に米国のオバマ大統領の動きにも感謝と共に、賞賛すべき行動でした。

そして、世界の動きを見ていて、正直なところ感動してしまいました。

人間も捨てたものじゃない。
本当にそう思いました。


神戸の地震の時、一番信頼できたのは警察でも行政でもなく、山口組の構成員の人々でした。
事実として、当時の組長はじめとした山口組にはお世話になりました。
少なくとも神戸市灘区の住民はそう感じているはず。

その時も、非常事態の時は立場も何も関係ない、と思いました。
今回もそう思います。
国籍や、国境、国家さえも超越した共同体性が必要だと。

もしかすると、この地震が共同国家の足がかりになるかもしれません。
いやそうなって欲しいものです。

本当に、人間、捨てたものじゃない。

このサイト。すでに話題だけど、これ。

http://prayforjapan.jp/tweet.html


今回のアメリカの救助部隊の作戦名は、

「Operation Tomodachi」

そう、人類みな兄弟、家族。

この作戦名を聞いた時、まだまだアメリカという国には追いつけないと思いました。







気がつけば、もう3月

そう言えば、ブログとは最近は無縁だった。

つまり、今年初めてのブログとなります。これが。

2011年になり色々なことがありました。

会社オフィスの移転。
飲みすぎな日々。
報徳サッカー部OB会。
ゴルフ旅行。
重度の腰痛。
自宅の工事。

でも、今回の地震は2011年というか、人生最大の出来事に近いです。
阪神大震災の時は、自分自身が被災者だったけれど、そのとき以来の衝撃です。

阪神大震災の時も身を持って感じたことだけれど、日本人は本当にすばらしい民族だと思います。
震災時、信号も作動しない中、車は譲り合い、人々も譲り合い、普段以上のマナーの良さでした。
今回の地震でも、被災者の皆さんの助け合いが大きく報道されています。

こんな時に不謹慎かもしれないけれど、今、日本人で良かったと心底思っています。

気がつけば、12月。
そう言えるくらい、恐らく今年は時間が早いと思います。
神戸の地震も、何だかんだで十数年。
必ず、全ては復帰、回復します。

気がつけば、もう10年。
そういえる日が早く来ることを祈っています。





折り返し地点

15年前は、人生は50年と考えていました。

50歳までに人生の頂点を目指そうと考えていたので。

ただ、人生の頂点の『定義』が自分の中で変わり、現在の自分のレベルが低すぎたり、家族のためにも人生は60年以上は必要、とか考え始め・・・。

人生70年と考えることにしました。
人生は100年単位であるべきと考えているので、ここでいう「70年」は寿命であって、本当の意味での人生は「100年」です。

70年だと考えると、今年が折り返し地点。
あと数時間で、折り返し地点を回ることになります。

人生って色々なことがあるけれど、正直、今まで惰性で生きてきたような気がします。
そう感じることが、この数ヶ月多かった。

ある人が、
『明日があると思えることは、幸せだけれど、本当に幸せだけれど、
それは甘えになるし、毎日毎日、必死に生きることができなくなる。
明日がないかもしれないと常に思うことこそが、生きるということですよ!』
、と。

2011年は、1分、1時間を後悔しないような生き方をしたい。
難しいけれど・・・。

もうすぐ、除夜の鐘。
色々なチャンネルを変えながら、惰性でテレビを見ています。
これこそダメなことなのか?!
まぁ、それはいいとして・・・。

神戸では、除夜の鐘ではなく、新年明けると船の汽笛が鳴り響きます。
神戸港に停泊する各国の船が一斉に汽笛を鳴らします。
これが、小さな頃から当たり前にあること。

こういう幼い頃からの『当たり前』を改めて感じてみること。
そういうことを大切にすることが、大事なのか、と。

















年末最後のバタバタ

白浜にちょっくら温泉旅行に行ってきました。

朝早くから家を出て、和歌山にある、遊園地『ポルトヨーロッパ』に寄り道。
それにしても寒すぎて、乗り物乗るにも震えながら・・・。
それと、ポルトヨーロッパは何だか荒んでる感じでした。
まぁ、寒い時期だから仕方がないのだけれど・・・。

そんなこんなで白浜温泉到着。
今回は、『コガノイベイホテル』に宿泊。
クエ鍋とアワビの石焼を食するのが目的。


酔いどれ人生ゲーム


部屋からの景色は、なかなかの景色だけど。
寒すぎて、バルコニーには出ることができない。
それと強風過ぎて。

なんだか、朝起きて、出発して、遊園地で遊んで、ホテルについて、温泉に入って、食事して、酒飲んで、そのまま寝てしまい。ドタバタした感じで1日が終わり。
翌朝も7時には朝食を食べ始め、8時にはホテルを出発。

そして、3,100円で釣り放題の海上釣堀へ。

到着後、子供も楽しめる『小物釣り』には数人しか釣り人がおらず、水温も低いため釣堀なのに釣れていない。

嫌な予感・・・。

が、開始10分後にまずはイサキを1匹ゲット。

その後、コツとタナも分かり、バンバン釣れる。
でも、一人だけ釣れている感じ。
他の釣り人は釣れていない。
そんな中、25センチオーバーのイサキが入れ食い状態。

そして、30センチの真鯛もゲット。

竿を嫁に渡し、嫁がやってもイサキは釣れる。
でも、他の人はあんまり釣れていない。

タナと合わせが、かなりシビア。

1時間20分の釣りで、イサキを20匹と真鯛を1匹。

かなり面白かった。

お正月に食す真鯛もゲットできたし。

そして、これが戦利品。


酔いどれ人生ゲーム


その後、釣堀をあとにし、近くにある『とれとれ市場』へ正月用の食材を買出し。
昼前には、白浜を出発し、神戸へ。
帰宅後、大急ぎで魚君たちを捌き、下処理をし、両実家へおすそ分けし、そのまま三宮へ。

16時前にホテル・オークラでロンドン時代にお世話になった家族と待ち合わせ。
ロンドン時代は、年上なのに、友人のよいうに接してもらい、家族ぐるみでお付き合いしてもらっていました。
約2時間ほど、ロンドン話で盛り上がり、5年前と全く変わらない感じが何だか嬉しく、寂しく。

やっぱ、いずれはロンドンに戻ろうと、お互いに決心した時間だった。

それにしても、ホントに今年の年末は忙しすぎる。




















忘年会なお話し その2

その2。

それでも忘年会は続くのでした。

そう、それは我がチームの4番バッター主催の最強忘年会。
アンド、会社忘年会。

お店。

おばあちゃんがやってる焼き鳥(でてくるのが異常に遅い)。
ロックなバー。
ご飯がそこそこ美味しいカラオケ。
量が多すぎる焼肉。
テンション高い居酒屋。

登場人物。

関西屈指の4番バッター。
秘密主義なお友達。
独身貴族な友人。
尊敬すべき先輩。
会社の同僚たち。

こうやって、夜も更け、そして2010年も終わっていくのです。