教育システムって何よ?!
文部科学省にこんなページ がありました。
そもそも、「生きる力」ってのが分からない。
そんなものは学校で教えるでもなく、教材で学ぶものでもない。親、家族などが生活をするなかで自然と教えていくものであり、子供たちは自然とそれを身に着けていくものだと思う。
それを、わざわざ、「確かな学力」、「健康・体力」、「豊かな人間性」などと無理やり決め付けても、それは「学校教育」のシステム化をする際の基準にしかならず、もっと言うと言い訳にしかならない。
と、思う。
僕は、勉強は本当にできなかった。
でも、小学校から塾にも行き、中学校からは私学で高校まで。大学受験も、かなり適当だったけれど経験した。
そして今は子供から大人へ脱皮し、自分が子供を持つ立場になっている。そうなると、子供の教育は本当に大切だなと思えるようになってきた。
でも、こういう意味不不明なプラン、お受験、英語教育・・・。
には納得いかないと言うか、あんまり興味がない。
だって、親のレールに乗っかって良い学校でたって、自分なりの目標がなく、そこにいることほど苦痛なことはないし、それは絶対に教育ではないと思う。そして、自分が大人になり社会人になって一番痛感しているのは、学校とか成績とかではなくて(それはあくまで最初の指標であると思う。でも、官僚を目指すならシステム上、東大行くべき)、人間としての魅力とか知識とか、教養が大切だと思う。
魅力とは、コミュニケーション能力。
知識とは、自分の能力を知ること。
教養とは、他人の心を理解すること。
だと、僕は思っております。はい。
これらを自然に身につけて行くことが本当に大切で、昔の日本社会にはそれがあった。親にも、家族にも、教師にも、そして地域社会の大人たちにも。
でも、今の教育はそうではない。
大切なのは器。人間としての器。
どんなに語学が堪能でも、どんなに数学が得意でも、物理が得意でも、どんなに良い学校を卒業しても。
ピーナッツがどんなふうにしてできるのか、サツマイモの栽培方法はどんななのか、ツバスが何の魚の幼名なのか、それを知っている方が魅力的だ。と、思う。
だって、それが「生きる知恵」でしょ。つまり、「生きる力」でしょ。
自分の子供には、自分の手で野菜を作らせて、魚をさばかせて、そしておもちゃを作れるように教えてあげたい。
それが、親にできる唯一のことのような気がする。
あっ、もう1つ、きちんと日本の歴史も教えないと。
とは言うものの、自分ができなかったことをさせたい気持ちもあったり・・・。あー、今まで書いたこと全否定??