帯に短し、襷(たすき)に長し
日本語にはいくつもの良い言葉があるけれども、この言葉、久しぶりに聞いた。
昨日、ロンドン時代に非常にお世話になったひとからメールをもらい、その人が書いていたこと。
ここでは、「中途半端では駄目」とでも解釈できようか。
以下が、その人からのメールの抜粋。
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何でも、変に中途半端だから困るんですよね。素晴らしい人と言うのは、何か得意分野を持って生活し、生きている。別にそれがアカデミックでなくても良いわけです。何事においても自信を持てる、「何か」を持ちながら生活している。
以前から、私はそういった素晴らしい人と出会うと、注意深く見ていますが、やはりどの分野においても、そう言った得意分野を持つ素晴らしい人たちには何らかの共通点があるように思われます。
教養とはアカデミックなことだけではないですが、アカデミックなこと以外が実は「教養」と呼べるのかもしれません。
帯に短し、襷に長し。
帯が良いとか襷が駄目とかの問題ではなく、何事においても中途半端は使い物になりませんね。
きちんとした教養を持つことが大切で、それが素晴らしい人に共通する「何か」だと痛感しています。
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前後関係が見えてないので意味が分からないかもしれないけれど、この人はロンドンで長年培ったファイナンス方面のキャリアを投げ捨てて、イギリスのとある大学院に入学しなおし、勉強をしています。
年齢も僕よりかなり年上。しかも、英国でそれなりのキャリアを積んできた人。
その人が言う、「中途半端では駄目だと改めて痛感した」、と。
改めて、自分の今までの人生とキャリアを振り返ると・・・。
中途半端。
口では色々と言っているけれど、実際は足元のことしか見ていない自分がいたりして、何だかんだと、やっぱり先を見ていないことを実感。
帯に短し、襷に長し。
ある分野においては、サイズがバッチリと合うような長さでありたい。