はじめての。
11月終わりから12月いま。
今までの人生で一番のうれしい出来事と悲しい出来事が怒涛のように押し寄せた3週間だった。
記しておく。
11.26(FRI)
10日遅れの生理。
体調からもほぼ確信していた検査、陽性。
予測していたもののうれしくて震えた。
11.27(SAT)
初検診。(彼に付き添ってもらう)
最終生理開始日から計算した妊娠週数によると妊娠6週目。
先生は5w~6wの間くらいとおっしゃってた。
5mmの“胎嚢"(赤ちゃんのお部屋)を確認。
超音波検査の写真をもらって2人で見てすごく喜んだ。
この頃から軽いつわりもあり、たった5mmのその存在で体は変化するものなんだと。
神秘的なものなんだなと、実感。
初検診の際にこの時期の流産は多いので気をつけるように言われ、妊娠初期の流産について知った。
12.4(SAT)
2回目の検診。(母が来ていたので母と)
6w~7w程度。
5mmだった胎嚢は10mmに成長。
その中に小さな小さな点も確認。
これが所謂“胎芽"と呼ばれる胎児の一歩手前の状態。
この時点での成長は順調。
まだ心拍の確認は取れない。
10日後また来て下さいと言われた。
心拍の確認が取れてない状態でいろいろ交錯するネット上の情報と母の流産の話、友人の同時期の妊娠発覚と。
毎日が気が気じゃなかった。
ハードに働いてたがお昼の仕事も辞め、少しでもストレスを軽減しようと。
10日後は12.14(TUE)だったのだけど、一緒に検診の結果を知りたくて週末の12.18(SAT)まで待つことにした。
12.16(THU)
夜勤のため夕方に起きると少量の出血の跡。
前日の夜に少し腹痛もあった。
出勤前に少し見てもらおうと初めて一人で3回目の検診。
いろんな情報を見ていたのだけどなぜか平気だった。
“わいの子。大丈夫にきまってる"っていうコトバがやけに心強く妙に信憑性があり、ワタシも自信がもてた。
先生に出血があったことを告げ内診台に。
内診台は下半身と上半身でカーテンで仕切られている。
いつもよりも長いエコーの検査。
ん~という先生の声。
カルテをめくる音。
カレンダーと照らし合わせ週数をカウントする声。
何か問題があった事はすぐわかった。
血の気が引いた。
“みますか?"という声ではっとした。
見えたのは15mmで成長が止まった空っぽの胎嚢だった。
放心状態で診察室へ戻り先生は話してたけど余り覚えてない。
こらえてた涙も止まらなくなって嗚咽でコトバにならなかった。
仕事中の彼に電話したけどそれもコトバにならなかった。
状況を把握した彼はすぐ帰ってきてくれたけどこの時の事も余り覚えてない。
泣く事しか出来なかった。
とめどなく。
今心の整理がついたのは全部彼のおかげだ。
自分一人じゃどうしようもなかった。
彼は少しだけ涙を見せたけど、それ以外はワタシのそばにずっと居て。
これからの、いつかくる近い未来の話をした。
“わい達の赤ちゃんはまたすぐ戻ってくるよ"
12.18(SAT)
2日間何年分かの涙を流し、状況を受け入れることが出来た。
流産の手術について話を聞くため2人で検診。
また内診台に上り確認の為のエコー検査、状況は変わらず成長の止まった胎嚢と小さな小さな胎芽の痕跡。
診断は妊娠7週での稽留流産。
排卵日のズレによって妊娠週数と胎嚢や胎芽の成長過程にもズレが出てくる。
ワタシの場合11.26(FRI)に妊娠検査で陽性がでておりココでの妊娠4週は確定なのだそうだ。
そこから計算して7週。
涙は出なかった。
手術はなるべく早めにがいいとの事で2日後に決めた。
血液検査の為採血をした。
【稽留流産】
妊娠初期に多く見られるそうだが、自分が妊娠するまで知らなかった。
手術の当日までつわりも胸のハリもあった。
体はまだ“妊娠している"んだ。
12.20(MON)
1泊入院の手術もあるようだが私が通っていたのは入院設備がないクリニックのため日帰りの手術。
“子宮内容除去手術"
掻爬手術と呼ばれているものだ。
手術の為、前日PM9:00より絶飲食。
眠ることが出来なかった。
本来仕事だった彼は休みを取ってくれた。
AM8:30~
手術に関しての同意書を渡し、検温、血圧、脈をとって点滴開始。
子宮口を広げる処置に痛みを感じる事が多いとの事でお尻に筋肉注射を射った。
今まで話したことのない看護師さんだったがワタシをリラックスさせるためにいろいろ話をしてくれ緊張もほぐれた。
少しして内診台に歩いて移動。
緊張と寒さで震えてた。
手術自体は静脈麻酔による全身麻酔で行われ15分程度で終わるもの。
なぜこの前処置を全身麻酔で行ってくれないのかと思うほど、子宮口を広げるその処置は感じたことない我慢しようがない嫌な痛みだった。
時間にすると大した時間ではなかったのだろうけどかなり長く感じた。
しばらく内診台で待ち、静脈に麻酔が入った。
ふわふわした状態で麻酔の効きを確認したが、少ししたら意識がはっきりしてきたので麻酔薬を追加。
朦朧としてきて気付いたら手術は終わっていた。
内診台から初めの簡易ベッドへ支えられながら移動。
なんとなくクラクラしていて前の日寝てない事もあってか夢の中みたいだった。
全部夢ならよかったのに。
これで本当に終わったんだなと思うとやっぱり涙が出たが、泣くのもこれで最後にしようと思った。
2時間ほどそのまま休んで再度内診台へ。
出血の状態を確認して、全部の行程はおわり。
初めての全身麻酔での手術といろんな気持ちとでまた震えていた。
待合室で彼の顔を見たらほっとした。
術後6時間は食事ダメ。
お風呂ダメ。
術後3~4日はゆっくり休む。
帰宅後お腹の痛みはあったけど出血はほぼなかった。
その日もゆっくり一日そばに居てくれた。
実質妊娠が確定してから3週間の短い妊娠生活。
妊娠を望んで1回で妊娠したこれが私達の赤ちゃんが生まれてくるタイミングなんだと思っていた。
でもまだ時期じゃなかった。
でも私達の赤ちゃんはまた私達のところへ戻ってくる。
私が妊娠を話した友人には時期をみて話そうと思う。
ここを先に見ることもあるかも知れないけど。
彼へ
あんなに楽しみにしていたのにごめんなさい。
一緒に居てくれて本当にありがとう。
おかあさん・家族へ
初孫をすごく喜んでくれたのにごめんなさい。
気遣ってくれてありがとう。
前を向こうと決めた。
いつかまた会える時まで。
今までの人生で一番のうれしい出来事と悲しい出来事が怒涛のように押し寄せた3週間だった。
記しておく。
11.26(FRI)
10日遅れの生理。
体調からもほぼ確信していた検査、陽性。
予測していたもののうれしくて震えた。
11.27(SAT)
初検診。(彼に付き添ってもらう)
最終生理開始日から計算した妊娠週数によると妊娠6週目。
先生は5w~6wの間くらいとおっしゃってた。
5mmの“胎嚢"(赤ちゃんのお部屋)を確認。
超音波検査の写真をもらって2人で見てすごく喜んだ。
この頃から軽いつわりもあり、たった5mmのその存在で体は変化するものなんだと。
神秘的なものなんだなと、実感。
初検診の際にこの時期の流産は多いので気をつけるように言われ、妊娠初期の流産について知った。
12.4(SAT)
2回目の検診。(母が来ていたので母と)
6w~7w程度。
5mmだった胎嚢は10mmに成長。
その中に小さな小さな点も確認。
これが所謂“胎芽"と呼ばれる胎児の一歩手前の状態。
この時点での成長は順調。
まだ心拍の確認は取れない。
10日後また来て下さいと言われた。
心拍の確認が取れてない状態でいろいろ交錯するネット上の情報と母の流産の話、友人の同時期の妊娠発覚と。
毎日が気が気じゃなかった。
ハードに働いてたがお昼の仕事も辞め、少しでもストレスを軽減しようと。
10日後は12.14(TUE)だったのだけど、一緒に検診の結果を知りたくて週末の12.18(SAT)まで待つことにした。
12.16(THU)
夜勤のため夕方に起きると少量の出血の跡。
前日の夜に少し腹痛もあった。
出勤前に少し見てもらおうと初めて一人で3回目の検診。
いろんな情報を見ていたのだけどなぜか平気だった。
“わいの子。大丈夫にきまってる"っていうコトバがやけに心強く妙に信憑性があり、ワタシも自信がもてた。
先生に出血があったことを告げ内診台に。
内診台は下半身と上半身でカーテンで仕切られている。
いつもよりも長いエコーの検査。
ん~という先生の声。
カルテをめくる音。
カレンダーと照らし合わせ週数をカウントする声。
何か問題があった事はすぐわかった。
血の気が引いた。
“みますか?"という声ではっとした。
見えたのは15mmで成長が止まった空っぽの胎嚢だった。
放心状態で診察室へ戻り先生は話してたけど余り覚えてない。
こらえてた涙も止まらなくなって嗚咽でコトバにならなかった。
仕事中の彼に電話したけどそれもコトバにならなかった。
状況を把握した彼はすぐ帰ってきてくれたけどこの時の事も余り覚えてない。
泣く事しか出来なかった。
とめどなく。
今心の整理がついたのは全部彼のおかげだ。
自分一人じゃどうしようもなかった。
彼は少しだけ涙を見せたけど、それ以外はワタシのそばにずっと居て。
これからの、いつかくる近い未来の話をした。
“わい達の赤ちゃんはまたすぐ戻ってくるよ"
12.18(SAT)
2日間何年分かの涙を流し、状況を受け入れることが出来た。
流産の手術について話を聞くため2人で検診。
また内診台に上り確認の為のエコー検査、状況は変わらず成長の止まった胎嚢と小さな小さな胎芽の痕跡。
診断は妊娠7週での稽留流産。
排卵日のズレによって妊娠週数と胎嚢や胎芽の成長過程にもズレが出てくる。
ワタシの場合11.26(FRI)に妊娠検査で陽性がでておりココでの妊娠4週は確定なのだそうだ。
そこから計算して7週。
涙は出なかった。
手術はなるべく早めにがいいとの事で2日後に決めた。
血液検査の為採血をした。
【稽留流産】
- 概念:子宮内で胎児が死亡している状態であるが、妊婦に症状が無いもの。
- 症状:自覚症状は無い。妊婦検診等で超音波検査 によって発見される
- 治療:確定診断がついた段階で、子宮内容除去術を行うことが多い。
妊娠初期に多く見られるそうだが、自分が妊娠するまで知らなかった。
手術の当日までつわりも胸のハリもあった。
体はまだ“妊娠している"んだ。
12.20(MON)
1泊入院の手術もあるようだが私が通っていたのは入院設備がないクリニックのため日帰りの手術。
“子宮内容除去手術"
掻爬手術と呼ばれているものだ。
手術の為、前日PM9:00より絶飲食。
眠ることが出来なかった。
本来仕事だった彼は休みを取ってくれた。
AM8:30~
手術に関しての同意書を渡し、検温、血圧、脈をとって点滴開始。
子宮口を広げる処置に痛みを感じる事が多いとの事でお尻に筋肉注射を射った。
今まで話したことのない看護師さんだったがワタシをリラックスさせるためにいろいろ話をしてくれ緊張もほぐれた。
少しして内診台に歩いて移動。
緊張と寒さで震えてた。
手術自体は静脈麻酔による全身麻酔で行われ15分程度で終わるもの。
なぜこの前処置を全身麻酔で行ってくれないのかと思うほど、子宮口を広げるその処置は感じたことない我慢しようがない嫌な痛みだった。
時間にすると大した時間ではなかったのだろうけどかなり長く感じた。
しばらく内診台で待ち、静脈に麻酔が入った。
ふわふわした状態で麻酔の効きを確認したが、少ししたら意識がはっきりしてきたので麻酔薬を追加。
朦朧としてきて気付いたら手術は終わっていた。
内診台から初めの簡易ベッドへ支えられながら移動。
なんとなくクラクラしていて前の日寝てない事もあってか夢の中みたいだった。
全部夢ならよかったのに。
これで本当に終わったんだなと思うとやっぱり涙が出たが、泣くのもこれで最後にしようと思った。
2時間ほどそのまま休んで再度内診台へ。
出血の状態を確認して、全部の行程はおわり。
初めての全身麻酔での手術といろんな気持ちとでまた震えていた。
待合室で彼の顔を見たらほっとした。
術後6時間は食事ダメ。
お風呂ダメ。
術後3~4日はゆっくり休む。
帰宅後お腹の痛みはあったけど出血はほぼなかった。
その日もゆっくり一日そばに居てくれた。
実質妊娠が確定してから3週間の短い妊娠生活。
妊娠を望んで1回で妊娠したこれが私達の赤ちゃんが生まれてくるタイミングなんだと思っていた。
でもまだ時期じゃなかった。
でも私達の赤ちゃんはまた私達のところへ戻ってくる。
私が妊娠を話した友人には時期をみて話そうと思う。
ここを先に見ることもあるかも知れないけど。
彼へ
あんなに楽しみにしていたのにごめんなさい。
一緒に居てくれて本当にありがとう。
おかあさん・家族へ
初孫をすごく喜んでくれたのにごめんなさい。
気遣ってくれてありがとう。
前を向こうと決めた。
いつかまた会える時まで。
