日本の文化は本当に大陸起源なのか?「石刃鏃」のルーツが示す事実とは | 霊(ひ)の元の未来のために

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日本の文化は本当に大陸起源なのか? 「石刃鏃」のルーツが示す事実とは〈dot.〉

5/2(木) 8:00配信

AERA dot.

 一口に日本文化というが、食やことば、漁の方法など、各地で多様な文化が交じり合うのが実態だ。いつから、なぜ文化はこんなに多様になったのか。

 われわれの直接の祖先、ホモ・サピエンスが列島にやってきたのは4万年前くらい。実はその直後から、各地で独自な文化がはぐくまれ、その違いは現在まで引き継がれていると、『境界の日本史』(森先一貴・近江俊秀著、朝日新聞出版刊)は説いている。

 文化の境目から日本史を見直すというユニークな視点はどこから生まれたのか。筆者の一人、森先一貴氏がその具体的な視座を得た、自身の在外研究を紹介する。

*  *  *
 まだ大学院生だった2007年の夏。ロシア連邦極東部、アムール川下流域のほとり、マラヤガバニ遺跡の発掘調査に参加した。この遺跡は新石器時代(日本でいう縄文時代に相当)のもので、日露合同発掘調査だった。

 日本での発掘調査の経験はあっても、海外での調査経験はほとんどない。そのうえ、ロシアは初めてで、期待よりもはるかに大きい不安を抱えたまま、大学の先輩たちと新潟から現地に向かった。

 日本から空路3時間ほどでロシア極東の大都市の一つ、ハバロフスクの空港に着き、市街地のはずれの小さなホテルで数日滞在してから、小型のバスでロシア人メンバーとともに遺跡近くの村に向かった。楽な道ではなそうだと覚悟はしていたけれど、運転手がかける大音量の音楽の中、リクライニングもない固くて小さな二人用座席に仲間と並んで座り、でこぼこだらけのひどい道を進む。車内でろくに眠れず揺られること20時間以上、おまけに途中で脱輪して立ち往生し、道端でテントを張ってウオツカを飲みながら一晩過ごしたりもした。

 現地についてからも2週間の調査期間中は河畔でのテント生活で携帯電話も通じない。ロシア側の仲間とウオツカを楽しむ(?) 以外は、ただ遺跡の発掘だけに向き合う日々。日本と違い風呂もシャワーもなく、毎日アムール川で水浴びをしたが、これが夏でもかなり冷たい。洗濯も川でやるしかなかった。

しかし、場所が違えば土も掘り方も発掘道具も出土する遺物も、何もかもが違い、すべてが初めて見るものばかりで、とても新鮮で感動したのを覚えている。ただ蚊や虻(あぶ)の多さには閉口したが。

 こんな調査なので、20代でもそれなりにつらかったが、全く異質な世界は楽しかった。その後も数回、夏には日本海に面した沿海地方のウラジオストクや、北海道の北に浮かぶサハリン島でも、発掘調査に参加した。冬には気温マイナス20~30度、凍れるハバロフスクやサハリンに出かけ、発掘記録を整理したり、出土遺物を分析したりして、レポートをまとめる作業に関わった。

 ロシアのほぼ真ん中にあるノボシビルスクで研究仲間と行った資料調査も面白かった。アムール川中流域の石器や土器の分析のため、ロシア科学アカデミーシベリア支部のある同地に出かけた。こちらはアカデムゴロドクという学術都市にあり、それほど苦労なく行くことができる。日本ではほとんど知られていない出土資料を詳しく調査し、新しい結論を引き出せたときの喜びは、何ものにも代えがたく思えた。

 筆者は日本の旧石器時代から縄文時代を研究している。こんな経験をしようと思ったのは、日本の歴史を、周辺地域の歴史を知った上で見直したいと思ったからだ。かの司馬遼太郎は、大陸文化の無節操にも思える摂取を通じて日本列島の文化がかたちづくられたといったし、第二次大戦後の日本の歴史学界も、日本列島の歴史は大陸からの人や文化の大規模な移入で形作られたと考えた。それがどれほど真実に近いのか、自分の目で確かめたいとも思っていた。

 日本列島の文化は本当に大陸起源のものばかりなのか。検討すべき対象のひとつに、「石刃鏃」という名の美しい石のやじりを特徴とする北方狩猟民の先史文化がある。約8200年前ごろの縄文時代早期、北海道の北東部オホーツク海に面した地域を中心に、わずかな期間、唐突に現れた謎の文化だ。その唐突さゆえに、ロシア極東のアムール川流域から伝播したとされてきた。

 

しかし、場所が違えば土も掘り方も発掘道具も出土する遺物も、何もかもが違い、すべてが初めて見るものばかりで、とても新鮮で感動したのを覚えている。ただ蚊や虻(あぶ)の多さには閉口したが。

 こんな調査なので、20代でもそれなりにつらかったが、全く異質な世界は楽しかった。その後も数回、夏には日本海に面した沿海地方のウラジオストクや、北海道の北に浮かぶサハリン島でも、発掘調査に参加した。冬には気温マイナス20~30度、凍れるハバロフスクやサハリンに出かけ、発掘記録を整理したり、出土遺物を分析したりして、レポートをまとめる作業に関わった。

 ロシアのほぼ真ん中にあるノボシビルスクで研究仲間と行った資料調査も面白かった。アムール川中流域の石器や土器の分析のため、ロシア科学アカデミーシベリア支部のある同地に出かけた。こちらはアカデムゴロドクという学術都市にあり、それほど苦労なく行くことができる。日本ではほとんど知られていない出土資料を詳しく調査し、新しい結論を引き出せたときの喜びは、何ものにも代えがたく思えた。

 筆者は日本の旧石器時代から縄文時代を研究している。こんな経験をしようと思ったのは、日本の歴史を、周辺地域の歴史を知った上で見直したいと思ったからだ。かの司馬遼太郎は、大陸文化の無節操にも思える摂取を通じて日本列島の文化がかたちづくられたといったし、第二次大戦後の日本の歴史学界も、日本列島の歴史は大陸からの人や文化の大規模な移入で形作られたと考えた。それがどれほど真実に近いのか、自分の目で確かめたいとも思っていた。

 日本列島の文化は本当に大陸起源のものばかりなのか。検討すべき対象のひとつに、「石刃鏃」という名の美しい石のやじりを特徴とする北方狩猟民の先史文化がある。約8200年前ごろの縄文時代早期、北海道の北東部オホーツク海に面した地域を中心に、わずかな期間、唐突に現れた謎の文化だ。その唐突さゆえに、ロシア極東のアムール川流域から伝播したとされてきた。

 

しかし、ロシアで実際に発掘に参加し、資料調査を続けてみてわかってきた。大陸には、北海道の石刃鏃と同じ技術や形のものがほとんど見当たらないのだ。アムール川流域、沿海地方など、かつて伝播元とされた地域の同時代の出土資料からは、北海道と同じ道具を携えた先史文化は存在しないといえる、と確信するようになった。

 ただひとつ、サハリン島の先史文化には北海道の石刃鏃とほとんど同じものがある。しかもその年代が、北海道よりわずかに古く8500年前に遡る可能性がある。じつは、古気候研究からは、約8200年前に北半球で広く気候の寒冷・乾燥化が起こったことが知られている。現時点のデータは、サハリンに早くに存在していた石刃鏃文化が、気候寒冷化の影響に伴う人の南下で北海道に影響し、両地域に共通する石刃鏃文化を生み出したというシナリオとなる。大陸からの文化の伝播はなかったのだ。

 この例一つをとってみても、日本列島の文化は大陸文化からの一方的な影響で形作られてはいないことがわかると思う。日本国内の発掘調査や研究が進んでも、周辺大陸での調査研究がなければ、こうした結論を得ることができない。日本の歴史を知るには外の世界を知らなければならないのだ。やっぱり楽ではないけども、これからも海外調査をやめるわけにいかない。(文化庁文化財調査官・森先一貴)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190418-00000065-sasahi-soci&p=1

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190418-00000065-sasahi-soci&p=2

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190418-00000065-sasahi-soci&p=3

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