包丁の話 ⓶ | 草村もやのブログ

包丁の話 ⓶

包丁の話 

 

 

もう30年あまりも前になるだろうか、たまたま上野に住んでいた友人が、上野公園を散策しようと誘ってくれた。

昼間、誘われれば出かけられるようになっていた、ということは、双子も小学校で給食を食べて帰って来る時代にはなっていたのだったろう。

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のんびり池之端を歩き、うなぎを食べたのを覚えている。友人は、あ、ちょっとここに寄るね、と、広小路の交差点近い菊季という刃物屋さんに寄った。

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白人の、ごっついお客が数人、あとで聞いたら、ロシア人料理人で、日本の刃物の質がいいので、観光のついでに立ち寄った、ということだった。

店の奥には、預かったらしい刃物を研いでいる職人さんが数人いて、私には何もかもが物珍しく、大きいのや小さいのや、包丁がずらりと並べられた壁面など眺めていた。

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その時友人が、これ絶対おすすめ、と推しに推したのが、刃わたり16,7センチほどの三徳包丁だった。

全体はステンレスなのだが、刃先にだけ鋼をつけてあって、きれいな刃文が走っていた。

え~、錆びるから手入れめんどくさくない?というのが、情けない私の第1声だったが、使うたびにちょいちょいと拭いておけば大丈夫、と彼女も店の小父さんも口をそろえた。

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あの美しいそば寿司を思い出し、そこまでは行かないだろうが道具は大切、と、多少の反省もあったから、私は、その包丁と、ついでに長年苦労していた爪切りとを買ったのだった。

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以来ずっと、これ1本で、毎日毎日、台所に立ってきた。

使ってみると、なんというか、肩の凝りがほぐれるくらいの開放感があるのだった。

何も考えずに刃を入れても、トマトがぶちゅッと汁を飛ばすことなどない、なんて感動だった。

5ミリ厚さのトマトとか、大根サラダの千切りが、それまでより格段に細くなったのなど、家族の誰も気づかなかったろうが、私は、ひとりで悦に入っていた。

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この包丁くんと、実家からお供してきてくれた砥石さんは仲が良くて、本当にありがたかったが、何10年か経つと、研ぎ師がヘタクソなせいもあるのか、鋼の部分がどんどん減って来て、刃文ギリギリまで削られたところもあるようになった。

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上野住まいの友人は、とうに実家のある世田谷に引っ越しており、私が上野に行くのは、山の上の文化会館や東博など美術館だけになり、とすると、つねに急いで帰宅する母でありつづけていた私には、山を下りる機会はなかった。

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80歳を過ぎて、もうあと何年主婦やるのか、これが最後の包丁くんとなっても不思議ではない、大事に使おう、と思ってみたり、いやいや、それは消極的すぎる、必要なものは、ちゃんと手当てするのが生きるということだ、とにわかに目覚めたりして、アタマの中では行ったり来たりだったが、怠け者の私が、包丁のためにわざわざ上野くんだりまで行くということもなかったし、文化会館も、いっとき改装のため閉じていたし、ますます上野広小路は、遠いままだった。