旅というほどの ⓵
旅というほどの ⓵
遊びを中心とする、貧乏で優雅な生活を送っているが、今年が干支、という年齢なのだから、疲れて楽しめないところまではいかはい、というのがマイ・ルールである。
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だって、遊びですよ。
ムリするようなことじゃない。
ムリは、長い人生、もうたっぷりしてきた。
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コロナで、数年旅もなくなり、そうなると、ズームを始めてくれる同年の友人があって、グループのおしゃべりは続いていたし、ローカルには、対面で、マスク越しの対話を楽しんでもいた。
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e-メールやラインはもちろん電話も、会わなくてもほとんどだれかと会っている錯覚を起こさせてくれて<情報交換>、結局は、気の置けない人とのおしゃべりが、いちばんいい遊びなのかもしれない、とつくづく思う。
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JRのジパング倶楽部の会員だが、コロナ期間は、まったく会費を<ただでとられて>いたのだ。
何年か分を回収したいものだが、そうもいかない。
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同級生には、豪華客船旅をご夫婦で、とか、毎夏滞在して、スイス・アルプスの村の名誉村民扱いされている独り身とか、妹や従姉妹や孫や、もう叔母さんに会うのは最後、とか言いながら、しばしば羽田を利用している人などいるが、それぞれ数年を経て、こわごわ、以前の習慣を復活させている。
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私たちも、おととしの秋くらいから、少しは短い旅に出かけるようになった。
旅といっても、なんというか、本当にささやかなものである。
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先月は、京都・南座、壱太郎・隼人・右近、期待の若手歌舞伎役者3人が、近松に挑戦する、というのをメインに、前後、土御門第跡と廬山寺、醍醐寺と隨心院を歩いた。
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それも、桜の季節の混雑には耐えられそうもないから、少し早めに、という、なんとも遠慮深い計画である。
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旅好き・旅慣れた60年にあまる付き合いの友人は、とろい私が、あのさア、とかウダウダ言っている間もなしに、手早くチケットの手配などしてくれる。
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京都は、最近は、バスもタクシーもむつかしいことになっている、と聞く。
私たちは、新幹線中央口を出て、すぐ右の奈良線に降り、東福寺乗り換えの京阪電車で、祇園四条へ行く。
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南座の真ん前にあるこの駅も、以前はあまりきれいではなかったが、インバウンド様のおかげでか、すっかり明るくきれいになった。
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南座のすぐ裏の、とてもコスパのいい小さなホテルに、荷だけおかせてもらい、しっかりマスクをし直して、四条通りから寺町通りへの道を入る。
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おどろいたのは、このあたりの小さなお店が、みな全国区になってしまっていて、どこかで見たことのある、つまり藤沢駅周辺のドラッグストアやカフェと同じ、チェイン店ばかりになっていることだった。
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日本人客の多くには、安心ではあっても珍しくもないだろうから、これもインバウンド様用なのだろう。
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なつかしい、京都らしい小さいが凝った雑貨屋さんなど、絶滅危惧種になりつつあるのか、と、ちょっと心配になった。
コロナに耐えられなかったのかなあ。
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新橋・銀座で、見あげれば森ビルが目立つように、この辺りでは伊藤久右衛門はじめ、お茶の銘店が、元気に、あちこちに看板をあげている。
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アーケードを北へあがって進むにつれて、寺町通りもようやく昔通りの街並みになってきて、ほっとした。
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右におしゃれな上島珈琲のカフェ、クラブハウス・サンドイッチの軽食を楽しみ、また少し進むと左に、なつかしい進々堂の出店もあった。
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むかし、よく立ち寄った本店?は、京都大学学生御用達のパンとコーヒーだったっけ。
半世紀以上も前、ひとりでふらりと旅をしていたころは、イノダコーヒか進々堂か、鍵善の2階で葛切りを食べるのが、周辺の杜や石段を半日上り下りした後の、お気に入りの定番だった。