20分という時間 | 草村もやのブログ

20分という時間

20分という時間

 

 

これから家を出て、電車やバスに乗ろうという時、あなたは、時刻表などチェックしないで、もよりの駅やバス停に向かいますか。

そうだとしたら、それは本当に恵まれているのですよ、という話である。

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東京23区周辺にいれば、山手線が事故で遅れたとしても、動き始めれば、時刻表との差を気にせず、来た電車に、混んでいたとしても、問題なく乗るだろう。

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帰宅時なら、今の私の場合も、東海道線か横須賀線かどちらかが無事なら、そのホームを選べばよくて、30分遅れでも、15分おきに来てくれれば、どれでも、バスに乗りついで、苦労なく帰れる。

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私は、新宿・渋谷方面なら、電車賃からいっても座って行けるという点からも、当然JRを避けて小田急で行くのだが、これが、微妙な時刻表見るか見ないか問題に気づいたきっかけだった。

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九州に単身赴任している息子の、不満のひとつが、同じ中心地、例えば最寄り駅から新宿駅、あるいは博多駅まで行くのに、乗ってる時間は同じでも、電車が少なきゃ時間が倍かかるんだよ、ということなのだった。

そうそう、そうだよね、わかるわかる。

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私が小田急に乗る場合、藤沢―新宿間の、快速急行が定番なのだが、ほんの数年前まで、これが30分に1本だった。

1分差でも乗り遅れたら、チッと舌打ちして、JRの駅の方に上がっていくことになった。

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それがほぼ20分間隔になったおかげで、精神的にもお財布的にも、おだやかになったのだ。

20分なら、人との待ち合わせに、遅れるとしても5分程度で赦してもらえるだろうし、劇場なら、トイレタイムを休憩時間にすれば、開幕には間に合って、座席に座っていられる。

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この10分、されど10分、大きいのだ。

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年齢や環境、もちろん個人差もあって、時間の感覚は、違う。

あと10分寝かせて、と、うんと若いときも子育て中も、何度願ったことか。

あと20分、などという贅沢は言わなかった。

仕事を密にしていたときの10分は、なんとか〆切に間に合わせる集中作業にとって有効だったし、若いときは、理由もわからずただ待たされる10分は、死にそうだった。

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今では、20分なら、落ち着いて待っていられるギリギリ限界の時間かも知れない。

年齢相応に悠長になり、万事手のろになっているから、余裕を見て出るようにしている一方で、たとえば人混みの新宿駅の改札口付近で、立ったまま人を待つ体力の限界は、20分がいいところだ、という気がする。

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たかが20分、されど20分。

ふしぎであいまいな20分である。