欧州に咲いた女優たち――貞奴と花子 ⑱
花子⑤
ロダンとの出会い
1906年、マルセイユでフランス植民地大博覧会が開かれた。
花子の演目は『京人形』の1部分と『芸者の仇討』だったが、翌日には、続演と、昼の部・夜の部の2部興行が決まったほどの大入りとなった。
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女性はハラキリはしないものだ、懐剣でのどを突くのだと言っても、客受けするとなればハラキリ、というのがフラーの演出で、花子ひとりで十分となれば、ほかの劇団員への給料は、言を左右にして支払わない、ある意味、読みの早い、合理的な才人なのだった。
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ロダンとも知り合いであったフラーは、彼が花子に会ったら、モデルになってほしいと熱望するだろうというところまで、読み込み済みだったかもしれない。
花子を見たロダンは、パリへ来たらぜひ寄ってほしいと、名刺をおいて去った。
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花子と吉川馨は、いわば一本釣りされて、パリの小さな小屋に、フラーの書いた台本『心中だて』に出ることになった。
女のハラキリの血潮が、前列の燕尾服の客の胸にかかる、というようなあざとい演出だった。
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ふたりは、パリで、フラーの仲立ちで結婚した。
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フラー版『心中だて』のプロットはこんなふうである。
長吉は、お袖という娘を愛していた。
お袖がどっきりを仕掛けようと、自分に似た人形を部屋に置く。
長吉は、その人形に求婚するが返事がない。
怒った長吉がお袖を殺そうとするところに、お袖の兄が入ってきて、斬り合いになる。
驚いたお袖が止めに入るが時すでに遅し、長吉は、斬られてしまっていた。
兄が自決しようとするが、お袖は自分が愚かだったのだ、とハラキリ、血が飛ぶ…これで観客を感服させる演技ができたのである。
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小柄な花子が、お袖と2役で人形を演じたら、客は喜んだろう。
今でも、よく歌舞伎舞踊として演じられる『京人形』は、客席に顔を向けている限り瞬きをしない、カチコチの人形振りで、あれはどういう技術なのだろう、それだけでも思わず見入ってしまう演目である。
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翌1907年、ブーローニュのお金持ちのガーデン・パーティで、花子は67歳のロダンと再会した。
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ロダンは、その時余興に演じた花子の死の表情に創作意欲を掻き立てられ、数日後に、花子と吉川を、アトリエに招いた。
もちろんフラーも同席した。
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花子は、モデルになることを承知した。
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毎朝、フラーの自動車でアトリエに行き、午前中30分ほど仕事、それからロダンはふたりを連れてレストランで食事をとり、午後3時ごろまで仕事をする。
花子は、帰って、舞台をつとめるのである。
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ロダンのお蔭で、各界の有名人に招かれることとなった花子は、「巴里の花のやうな貴婦人の生活を知り…殆ど夢のやうに、華やかな其の日其の日を送ることが出来ました」と、のち語っている。
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ロダンは、花子に、断末魔の表情をさせ、塑像が完成しそうになっても、気に入らないと壊してしまう。
芝居の時観た眼と違う、と怒り出すこともあった。
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花子は、ロダンの妻――ローズ・ブーレと気があったらしい。
ムードンの丘の上の、彫刻がひしめき合った、広い庭園のある家では、ローズは女主人として住んでいたが、日陰の身で、家政婦のような扱いだった。
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お針子だった彼女は、20歳で、4歳年上の、まだ貧しかったロダンと、生涯関わり続けることになるのだが、結婚したのは、その死のほんの少し前である。
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有名なカミーユ・クローデルは19歳、ロダン43歳の時から、またアメリカ生まれのショワズール公爵夫人は、私生活だけでなく、ビジネスにも、口も手も出し、古くからの職人を遠ざけるなど、トラブルも多かった。
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花子は、ローズを立てることを忘れなかった。
ロダンは、花子が「ファチゲー」と音を上げると、チョコレートを口に入れてくれたり、コーヒーを淹れさせたり、自分は飲まないのにタバコを持って来させたりしたという。
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完成すると、アトリエのカーテンを引き、ローソクを何本も、塑像の周囲に置いた。
眉間にしわを寄せ、悶絶する「死の顔」である。
ローズがワインを抜いて、みなで乾杯したのであった。