鎌倉殿の13人』、第18回「壇ノ浦で舞った男」を観た。

 

(いつものナレーション)

都に足掛かりを築いた

源氏に対して、

平家は瀬戸内海を抑え、

最後の抵抗を繰り広げる。

最終決戦が

目の前に迫っていた。

 

第18回「壇ノ浦で舞った男」

 

心から慕っていた許嫁の義高を失った大姫は、

孤児の世話をしている八重が手習いの相手をするなど

傷心を和ませようとしても閉ざした心を開こうとしない。

八重が墨で自分の鼻の下にヒゲを描いても表情一つ変えない大姫。

 

(ナレーション)

一ノ谷で敗れた平家は、四国の屋島に逃げた。

対する頼朝の戦略はこうである。

義経西国を、範頼には九州を攻めさせ、逃げ道を塞ぐ。

しかし、範頼は九州に渡る船を集められずにいる。

 

元暦二年 

1185  

周防 松崎天満宮

 

範頼の陣営。

九郎の四国進軍が遅れ、米を積んだ船が屋島の沖で平家軍に奪われていた。

兵糧が届かず九州に渡る前に全軍飢え死にをしてしまう、鎌倉に引き上げたいと苛立つ小太郎に

範頼が「どがうかわかってほしい。

   兵たちが民から略奪するのを我らは止める立場にある。

   我らが泣きごとを言っては兵は抑えられん」 優等生タイプの範頼

と魚を釣りに行こうとしたところ、平六が豊後の水軍を味方につけて九州での兵糧を確保できたと知らせに来た。豊後の水軍は九州の平家軍と戦っていたので、

敵の敵である源氏に味方をすることにしたのだ。これは小四郎の計略であった。

 

(ナレーション)

豊後の緒方一族から船を借りた範頼軍は、九州に渡り、筑前に攻め込む。

逃げ道を絶たれる平家。

 

一方、摂津国。義経軍は時化続きで足止めを食わされていた。

陣営ではこの合間、平三が船に方向転換が容易な逆櫓をつけることを提案するが、

それを聞くや否や九郎は真っ向から反対する。

平三「前に進むことしかできぬ者は❝猪武者❞と申す!」出た、猪武者🐗

九郎「行ったり来たりの鶏武者よりよっぽどマシだ!!!」鶏武者なんているの?

嵐の中、無理を押してあえて船を出す、と譲らない九郎は部屋から出てゆく。

 

ひとり佇む九郎に近づく平三。

九郎「私は思ったことを口にする。忘れてくれ」

平三「よくよく考えれば、九郎殿の申される通りに、

   櫓をつけている場合ではござらん。目が覚めましたまた始まった…

九郎「いま船を出せば、三日かるところを風に乗って半日で阿波に着く。

   多少危険かもしれないが、危険でない戦なんてあるか確かに。

平三「異論はござらぬ」

九郎「私のことを一番わかってくれているのはお前だ!平三え~

平三「…」平三も自分に嘘はつけないか…

九郎「みんなに迷惑はかけぬ。私の手勢だけで行く。屋島で待っているぞ」

平三「(片膝をついて控えて礼)ご無事をお祈り致しております」

嵐の中へ出て行く九郎を見送る平三。そこへ重忠が現れる。

重忠「これだけの嵐で船を出す船乗りが何人いるか」

平三「たとえ一艘でもあのお方はおやりになる」

重忠「あれだけの武人をここで失ってもよいのですか」

平三「命を落とせばそこまでのお人だったということ。👈運命論者

   九郎義経が神に選ばれた男なら必ず成し遂げる」

 

(ナレーション)

義経は五艘の船で海を渡り、平家軍に奇襲をかける。

不意を衝かれた平家は、屋島を捨て長門の彦島に落ち延びてゆく。

 

鎌倉の頼朝の元に九郎がまた勝った、と知らせが届いた。

あまりの強さに頼朝は、九郎が調子に乗りやすい男であり、次の鎌倉殿の座を狙うのでは?と危惧を抱き、総大将を平三に交代させ、九郎を戦場に出さないようにと記した文を平三宛てに送らせた。

 

長門壇ノ浦

 

その知らせを受け取った義経の陣営では、頼朝からの命令にもかかわらず九郎は従おうとしない。元来、総大将とは本陣に構えているもの、と平三が言えば、自分がそれを覆してみせるという。

「ものの道理がわからぬお人じゃあ!」ついに平三が声を荒らげた後、

「所詮、大将の器ではない」と静かに二の句を継いだとたん、

九郎が刀を抜こうとし、平三と一触即発のヤバい雰囲気になる。

三浦義澄が内輪揉めを制し、重忠と能員が九郎の肩をもったことで平三が折れてその場は収まった。

 

ところが、この直後…

九郎「あれでよかったのか?」

平三「九郎殿を大将にという流れを作るには、あれしかございませんでした」

                 まさかの狂言

九郎「それにしても兄上がわからん。なぜあのような下知を?」

平三「気になさいますな。勝てばよいのです」

九郎「どう攻める?」

平三「無理をせず、幼い帝をお救いして、三種の神器を取り戻し奉る。

   それを第一に考えるべきでは?」

九郎「帝と神器は戦に勝てば戻って来る。(腰を下ろし胡坐をかく)👈楽観的すぎた

   はぁ…そうだ。船の漕ぎ手を狙うというのはどう思う?

   漕ぎ手がいなくなれば船は立ち往生」

平三「…」それ、ヤバい奴やガーン

九郎「そこを一気に」

 

元暦二年

1185

三月二十四日 朝

 

兵の数およそ 平家500 源氏800。

範頼軍は壇ノ浦の沿岸に待機、壇ノ浦の合戦で逃れてきた敵の逃げ場を塞ぐ役目。

範頼・小四郎・小太郎・平六らは、岸壁から戦況を注視していた。

形勢不利な九郎軍の船が平家軍の船に取り囲まれ、

ついに九郎は事前に練っていた策「漕ぎ手を射殺せ」と命じる。

重忠は漕ぎ手は兵ではなく、そんなことをすれば末代までの笑いものになると抵抗するが九郎は聞く耳を持たない。自ら先頭に立って漕ぎ手を狙いうちし始め、従わなければ命はない、と味方の兵に矢を向けるので、怯えた兵たちは九郎の命じるまま平家方の漕ぎ手を狙って矢を射かける。

次々倒れる漕ぎ手を見て、重忠は「南無三」と呟き矢を放った。

その様子を陸から見ていた範頼軍は呆然。

 

形勢逆転。

勢いづいた九郎は平家軍の船を次々飛び渡り、いわゆる「八艘飛び」を披露した。

 

宗盛「もはやこれまで」

 

そのとき、平家方の船から女人たちが、三種の神器とともに次々海に身を投げ始めた。安徳天皇も抱かれて海に入水。👈お母様・建礼門院徳子風

その様子を見た九郎は「やめろぉおおおお」と叫ぶ。

重忠は船上から、小太郎は陸から合掌した。👈重忠(小太郎も)信心深い。

 

戦が終わって、夕暮れの浜辺にたくさんの兵の死骸が打ち上げられていた。

その中に佇む小四郎の傍らに九郎が現れた。

小四郎「おみごとでした」

「策が当たったなぁ」という九郎に小四郎は無言。

九 郎「これは戦だ。多少の犠牲は止むを得ん」

小四郎「多少でしょうか?」

九 郎「勝たねば意味がない。これまでに討ち死にした者の命が無駄になる。

    お前の兄も戦で死んだらしいなぁ」

小四郎「はい」

九 郎「無駄にならずに済んだぞ」

小四郎「兄は平家に苦しめられる民のことを思っていました。

    果たして喜んでいてくれるのかどうか」

九 郎「私の戦にけちをつけるか」

小四郎「そうではございませぬが」

九 郎「死んだ漕ぎ手は丁重に葬ってやれ情け深い九郎❶

小四郎「かしこまりました」

九 郎「義仲も死に、平家も滅んだ。

    この先私は誰と戦えばよいのか」👈兄上と戦うことになるのです真顔

小四郎「…」

九 郎「私は戦場(いくさば)でしか役に立たぬ」と言って立ち去る。

小四郎「…(横顔)」

砂浜に寄せては返すさざ波。

 

鎌倉では、山木攻めから五年で平家を滅ぼしたことにしみじみ思いを馳せる時政。

念持仏(観音像)の前で経を唱えていた頼朝は、

しかし、帝を救えず、宝剣を失ったことから勝利とはいえないと顔を曇らせる。

頼朝「九郎のやつ、𠮟りつけてやる」背後でハッとする時政・藤九郎・広元。

 

裏腹に頼朝は寝所で髪を梳いていた政子に平家滅亡を告げ、

「九郎がやってくれた。九郎がな…平家が滅んだ!!!」九郎が、九郎が、って。

と言って涙で言葉を詰まらせる。笑い泣き義朝父さんも草葉の陰で嬉し泣きしてるね。

政子は頼朝にしがみつき「おめでとうございます」と泣いて喜びを分かち合う。

 

京の院の御所に招かれた九郎は平家を滅ぼした立役者として大いに称賛された。

幼帝を救えず、宝剣を取り戻せなかったことを後白河法皇に謝罪するが、

咎められるどころか獅子奮迅の戦話を求められて満面の笑みを浮かべる。

 

一方、小四郎・小太郎・平六・重忠は酒を酌み交わしながら戦話。

九郎が手柄を独り占めしたと不満を漏らす小太郎。

平六曰く「糞真面目な蒲(かば)」こと範頼は壇ノ浦で刀剣を探し続けている。

九郎もその実、漕ぎ手殺しで大層評判を落とした」。

重忠は平三がなぜそれを止めなかったのか疑問に思っていたが…

 

その平三は一足先に鎌倉に戻っていた。頼朝らの前で、

平三「九郎殿は戦にかけては神がかった強さをもっておられます。

   しかしながら、才走るあまり、人の情けというものをないがしろにされます。

   壇ノ浦で船乗りを狙い撃ちしたのが良い例。

   一ノ谷における奇襲においても急な崖を

   馬と共に駆け下りることを皆に強いられました。勝利のためには…」

頼朝「手を選ばぬ、と」

平三「…(その通り、と礼をする)」結局、讒言せずにはいられない平三の性。

                 まぁ、真実ではあるけれども。

 

藤九郎「しかし、九郎殿がおられたから平家を滅ぼすことができたのも事実」

頼 朝「そうなのだ」

藤九郎「都では九郎殿の噂で持ち切りと聞いておりますぞ」

平 三「鎌倉殿を差し置いて、

    平家の後(のち)は、九郎義経の世だと口にする者も平三砲炸裂爆弾

時 政「九郎殿は強すぎるんじゃ。二、三度戦に負けて痛い想いをすれば、

    もう一つ大きくなれるんだがなぁあ」

頼 朝「すぐに呼び戻せ」

広 元「それができませぬ」

頼 朝「なにゆえ」

広 元「九郎殿は検非違使に任じられております。

    都を離れるわけにはまいりません」

頼 朝「チッ(舌打ちする)ふーん(息)」

 

その頃京の九郎は弁慶を伴い、私服の静と川へ釣りに来ていた。👈新しいイヒ

(実は比企氏の身内でもある九郎の妻・里が上京し、その様子を物陰から見ていた)

遠巻きに若い女たちが噂の九郎を見物していたが、

九郎が手を振ると「キャ~💛」と一斉に黄色い歓声が上がるウシシ

弁慶に一喝されて去っていく。

人目につく弁慶と一緒にいるせいで、すぐに見つかり人寄せになってしまう。

「あっちへ行っててくれ」弁慶を人払いした九郎は

「戦に勝ってどうして兄上に怒られなければならない?」

頼朝からの叱責がしたためられた文を読み、小四郎に不満を漏らす九郎。

兄・頼朝の喜ぶ顔が見たいだけの九郎だったが、小四郎は九郎が力を持ちすぎるのを恐れているのではないか、と答える。

「(鎌倉に)帰れるものなら帰りたい。検非違使などなるんじゃなかった」

という九郎に、法皇に検非違使を返上し、頼朝には直に弁明を、と勧める小四郎。

小四郎たちは明日鎌倉に向け京を出立することになっていた。

小四郎の勧めに従い、「次は鎌倉で会おう」という九郎だったが…。うっアセアセ

 

渋る法皇に鎌倉へ戻りたいと申し出た九郎は、丹後局の口添えで壇ノ浦で生き残った宗盛父子を鎌倉に送り届ける役目を仰せつかった。

ただし必ず宗盛父子を連れて戻り斬首は京でと約束する。

 

鎌倉への旅路前、死罪が確定しているにもかかわらず穏やかな佇まいの宗盛は、

人が一生で出会うあらゆる楽しみを味わってきた。未練はござらん。👈知盛と同じ

ただ…ひとつ気になっているのは息子の清宗」と九郎に言う。

九郎「罪人同士、話をしてはいけないことになっている」

宗盛「お願いがござる。首はどこぞに晒されたとしても、

   身体だけでも親子揃って埋めて頂くことは叶わぬだろうか」

「向こうに着いたら兄上にかけ合ってやる」と温情を示す九郎。

さらに亡兄・重盛について九郎に尋ねられた宗盛は、

「兄が生きていれば、平家はこんなことには…」

九郎「仲違いしたことはあったか

宗盛「ござらぬ心を開き合ったことがなかったゆえ。

   しかしそれでも信じ合っており申したそれが兄弟というもの

                👆平家は一蓮托生、か

 

鎌倉では、九郎が検非違使を辞めず、宗盛父子を連れて京・鎌倉を往復し、

京で首を刎ねるという知らせを受け…

広 元「これは大掛かりな猿芝居ですな」

平 三「すべて法皇様と九郎殿が示し合わせたこと。

   よほど九郎殿は気に入られているご様子平三にやり

   憮然とする頼朝。

平 三「これでは勘違いされても不思議はございませぬ。

    鎌倉殿の後を継ぐのは自分だと思われたとしても舌好調!!

小四郎「お待ちください。あの方に野心があるとはとても思えませぬ」

平 三「九郎殿を鎌倉に入れてはなりませぬ。何を企んでいるかわかりませぬぞ爆  笑

小四郎「あり得ません」

平 三「言い切れるか」

小四郎「…」

頼 朝「決めた。九郎には会わん」

藤九郎「お待ちください。さすがにそれは」

頼 朝「会うのは宗盛のみとする。九郎は腰越で留め置け」

平 三「それがよろしいかと」

小四郎「九郎殿に会ってやってください(懇願)」

頼 朝「奴をけして御所に入れてはならぬ」

広 元「はーっ」

やりきれない表情の小四郎。

小四郎「梶原殿、あなたもわかっておられるはず。

    九郎殿は鎌倉殿に会って話しをしたいだけなのです」

平 三「そなたも戦場での九郎殿の様子を見たであろう」

小四郎「見ました」

平 三「あのお方は、天に選ばれたお方。鎌倉殿も同じだ。

    お二人とも己の信じた道をゆくには手を選ばぬ。

    そのようなお二人が並び立つはずがない両雄並び立たず、ね

 

(ナレーション)

義経一行が鎌倉の西、腰越に到着する。

 

宗盛のみを鎌倉に迎え入れるため、

九郎の宿所(満福寺だね)を訪れた時政に詰め寄る九郎。

九郎はここに留まるように、との頼朝の考えを聞かされて、

九郎「わけがわからぬ。なぜだぁあああ」

 

心中をしたためた頼朝への文(宗盛が勧めて代筆)を九郎から託された宗盛は、

五月十六日に鎌倉に入った。

頼朝は御簾越しに外で控える宗盛と対面したが、

「不思議なものだなぁ。こうして父の仇を討つことができた今、

宗盛の顔を見ても何の怒りも湧いてこなかった。わしはあの男と清盛が重なり、

幼き頃に命を救ってもらったことを感謝していたくらいじゃ。

死罪は勘弁してやりたいところじゃが、まぁ、そういうわけにもいくまい」

「腹が立つのはこっちじゃ(腰越状を見て)。なんだこれは。

九郎が書いたものではない」

 

腰越状の一文、

広元「検非違使になられたことについて、

『当家の名誉であり、世にも稀な重職でこれ以上のものはない』と書いてあります。

されど、鎌倉殿も右兵衛権佐(うひょうえのごんのすけ)であらせられた」

頼朝「わしの官職をろくに知らぬ者が書いたことは明白だ。

   なぜそのような小細工をする」

広元「いかがなさいましょう」

頼朝「宗盛を連れてとっとと京へ帰れ、と伝えよ」

 

小四郎は九郎と会い

「きちんとお会いしてお話されるべきです」

「無用だ。兄上が帰れというのなら、それに従うまでのこと」

「わたしから鎌倉殿に」

「もうよい。  そういうわけで宗盛殿、そなたはこれより京へ戻る」

「承知した」

「その前に」弁慶に伴われて別室から清宗が現れる。

「父上」再会を喜ぶ父子。

今夜は親子でゆっくりと語り合うがいい情け深い九郎❷

九郎に感謝の意を述べて別室に入る宗盛父子。

 

義経は小四郎に頼朝を訪ねて鎌倉の前に腰越を訪れていたこと、

そして、これからは法皇第一にお仕えしていく決意を固め、

京の都で源氏の名に恥じぬように生きる、と語り、

「わたしは検非違使尉(けびいしのじょう)源九郎判官義経」と言った。

 

かつて九郎一行の空腹時に芋煮を食べさせてくれた腰越の人々が訪れ、

九郎の大勝利に祝いの言葉を述べると、👇情け深い九郎❸

今日は九郎から里芋煮を振る舞うという計らいに、人々はおおいに喜んだ。

                         次回につづく

 

 

ついに平家が滅び、戦の天才・義経のお役御免のときが来てしまった。

結果的に三谷さんの景時は、義経と真っ向から対立することはせず、

卓越した戦の才能への嫉妬心をひた隠し、義経の肩を持つフリをする。

さらに頼朝の懐に潜り込んで讒言炸裂、義経への警戒心を煽り立てることで

義経を陥れ最終的に亡き者にする片棒を担いでいる(張本人とまではいえないか)という印象。典型的な知能犯という感じだ。

 

実際のところ、義経は組織の歯車には収まりきらない人間だから、

頼朝も弟の頑張りを認めたくても認められないつらさを、

政子の前でだけ泣いて発散していたな。

 

しかし、戦場では勝つために「手を選ばない」義経も人の子。

罪人同士の宗盛父子に今生の別れの一夜をプレゼントするなど、

情の深さも「おきて破り(=手を選ばない)」か。

男兄弟の「末っ子」って自由でいてプライドが高くて融通の利かなさもあるのかな、

冷めてて開き直りが早かったり、その反面、欲しいものは何が何でも手に入れたい、成し遂げたいという執念深さもあって、義経にもそれを感じてしまうのよな。

 

って、なんだかんだいって義経には語りつくせない魅力があるから、

中間子(でも一人っ子?)範頼が陰に隠れてしまうのも無理ないかも。

けれど『鎌倉殿の13人』では、範頼の爽やかな品行方正ぶりも見逃せない。

こんな人が謀反なんて起こすわけないという典型的なお人なのに…やっぱりいずれやられてしまうのよね…あぁ鬱。 草草。

 

 

 

電車『鎌倉殿の13人』紀行  今回のみ独立した枠でドラマ本放送前に放送

 

関門海峡

本州と九州を隔てる関門海峡。

源氏と平家の最後の合戦「壇ノ浦の戦い」の舞台です。

都を追われ、現在の山口県下関市内の拠点へ逃れた平家一門。

 

平知盛像

九州を源氏方に抑えられ、逃げ場を失った平家軍は、

源義経像

この地で義経率いる源氏軍を迎え討ちます。

激戦の中でさまざまな伝説が生まれました。

源平合戦図屏風(和歌山県立博物館 蔵)

八艘飛び

船から船へ飛び移り、海上を巧みに移動した、義経の「八艘飛び」もその一つです。

赤間神宮

戦いに巻き込まれた安徳天皇を祀る赤間神宮。

先帝祭(上臈道中)

毎年行われる先帝祭は、平家ゆかりの祭りです。

上臈(じょうろう)道中は、平家に仕えた女性たちが、安徳天皇を慕い、

参拝したことが由来だと伝わります。

 

源平合戦決着の地、壇ノ浦。

源義経はここで、その生涯最高の輝きを放ったのです。

 

スター「赤間神宮」

JR「下関」からバス「赤間神宮前」下車すぐ