クリント・イーストウッドはリバタリアンだといわれているらしいです。
リバタリアンとは何者でしょう?
「バタリアンふたたび」みたいなことでしょうか?
「七瀬ふたたび」っていうのはありましたけどね。どうでもいいですね。
というあやふやな人間が、
この映画の思想的背景などというあやふやなものについて論じてみたところで、
何らの果実も生み出さないことは明らかですから、
今回は“父性愛”について書いてみようと思います。
とはいえ、さっきから気付いていたのですが、
“父性愛”っていうのもなかなかあやふやなんですよね。
どうしましょうか。
今日の更新もまた果実を生み出さない予感がするのは気のせいでしょうか。
唐突ですが、ここでちょっとフォードの名車“グラン・トリノ”じゃなくて、
トヨタのミニバン“ヴォクシー”のCMをご紹介しておきます。
このCM、瑛太さんと友人が桟橋だか堤防だかで駆けっこするんですね。
でその後を瑛太さんの息子(役)が追いかける。
瑛太さんは友人を追い抜いて、桟橋の突端から思い切りよく海へジャンプする。
その男っぷりを、後ろ姿でもって息子に見せるわけですね。
息子はそれに倣って海へジャーンプ!
という流れになっております。
一般的にはこういうことなんじゃないでしょうか、父性愛って。
クリント・イーストウッド演じるこの映画の主人公も同じようなことをします。
ただこちらは、相手が実の息子ではなくて、お隣の息子です。
お隣の息子をつかまえて、仕事の仕方、会話の仕方、オンナへのアプローチの仕方など、
“男として逞しく生きる術”を授けます。
実の息子や孫に相手にされないため、
その持て余した父性愛をお隣の息子にドクドク注いじゃうんですね。
このサマが大変おかしくてですね。
おかしくて妙に物悲しいんですね。
またまた唐突ですが、落語に「火焔太鼓」という演目があります。
古今亭志ん朝さんが演ったやつが最高に面白いのですが、
この中で、殿様に太鼓を売りに行く古道具屋の主人に、
おカミさんが世話を焼いて言うセリフがあります。
「俺は一人前だなと思っているところが一番いけないんだから。
俺は人より少し血の巡りが悪いんだな。
俺は間抜けなんだ、
馬鹿が太鼓背負って歩いてるんだ
ってことを忘れちゃいけないよ」
子供を諭すように言うんです。
この志ん朝さんの言い方がホントに面白くて最高なので、
全ての日本人、いや全世界の人々に聞いてみていただきたいのですが、
要するに、おカミさんに言わせれば、
“ほっとくと一人前だと勘違いするガキ”
それが男であるということなんですね。
古道具屋には、こうして諭してくれる人がいたから良かったのですが、
この映画の主人公は、運悪く、大切なおカミさんを亡くしたばかりでした。
自分ではガキっぷりを止められない“男”は、
まだ勘違いしていない隣の息子に対して、
勘違いの賜物であるところの
己の美学を継承しようと、
オレ流を伝授しようと
躍起になります。
だからおかしくて物悲しいんですね。
もちろん良い悪いの話ではありません。
これが父性愛なのでしょう。
それにしても、なぜこうも哀しいのか……
人や鳥に果実を食い尽くされ、
葉もだいぶ落ち、
その痩せた体を寒風に擦られて、
サワサワとむせび泣く柿の木を眺めながら、
クリント・イーストウッド世代の老人が如きメランコリーに浸る私なのでありました。
こんな風に物思いに耽る男の後ろ姿って、
もしかしてかっこいいかなぁ。
ガキだなぁ。
「グラン・トリノ」は☆2つです。
