クサキモさんの映画感想

クサキモさんの映画感想

映画のことなど何一つ分かっちゃいない人間が、才気溢れる人々が精魂込めて創りあげた作品に☆をつけるというイタいブログ。ホントになんも分かっちゃいませんが、映画を観るのが好きです。

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この映画は、


“愛のために”

“生きたかった”

のに

“死んでしまった”


という話です。


“生きたかった”のになぜ“死んでしまった”のか?
私の興味はここに尽きます。


でもこの映画は敢えて答えを出しません。


勝手な想像ですが、
作り手たちはこう考えたのかもしれません。


生きたかった男が無慈悲な戦争によって死んでしまう
という話は、これまで散々描かれてきたことでしょう。
そんな分かりきったドラマ、
今さらやってどうするんですか。


それよりも大事なことがあるでしょう。


“愛のために生き、そして死んでいった”


ここが大事なんですよ、と。


無理もありません。
人は“愛の話”が好きですからねぇ。
愛に飢えているのですから。


欲するものを描いたほうが映画はあたります。


ここで私は或る友人のことを思い出しました。


彼は以前から言っていたのです。


自分が人生で最も大事にしているのは“義”であると。


“義”というのは……


この手の観念的な言葉については、
色々な人が色々な立場から説明をしているようですが……


彼曰く、
自分の利害を捨てて他人のために正しい道を行くこと。


“正しい”というキーワードが入るため、
どうやら単純な自己犠牲とは違うようです。


また、こんなことも言っておりました。


今はそうなっていないけれど、
正しいことがきちんと報われる世の中になればいい。


“報われる”というのは、彼の言動から察するに、

伝わること。
共感を得ること。

のようです。


つまり彼はこう考えているらしいのです。


他者への愛の発露である正しい行い
をしたときには、


その行いが捻じ曲げられずに伝わり、

それを知った人が、


「うん、そうだね。それは正しいね。愛をありがとう」

と共感する世の中になればいい……


なるほど~

道理でこの映画のファンなわけです。


さて一方で、私は想像します。


戦争において、
私の他者への愛は、

おそらく“間違った”ものになるだろうと。


愛のためなら、
姑息で汚い行動に出ます。

或は、
押し黙って行動に出ません。

“生きたい”ので他人の屍は越えて逃げます。


その結果、
臆病者の誹りを受けるかもしれません。
末代までの恥となるかもしれません。

またその愛は、
ありがた迷惑だと思われるかもしれません。


それで構いません。


もし“生きたかった”のに“死んでしまった”ときにですね、

その無念を横に置いておいてですよ、


「愛をありがとう」


なんて言われたら、
馬鹿にされているとしか思えませんから。


本望は、愛する人のために生きたい!!
ただそれだけだったのですから。


結論です。


この映画には共感しようがありません。

どうやれば涙がこぼれるのか、理解もできません。


「永遠の0」は、
☆0.5です。


余談ですが、
石森史郎さんのシナリオ「私は泣かない」
を読みました。


戦争が舞台ではありませんが、
これもまた“愛の話”です。


やはり愛に飢えているのでしょうか、
涙がこぼれました。