毎年この時期になると「国に命をささげた英霊たちの尊い死の上にこの国の繁栄がある」として「英霊への感謝」を言う人たち(国会議員だけではありません)が出てきます。「戦争での死者を悼む」と言って靖国神社に参拝する人は「靖国神社に祀られて」いない人の死をどう悼んでいるのでしょう。

 

 不本意ながら戦争に行き、命を落とした人は「英霊」と言われて嬉しいでしょうか。「お国のため」と志願して行ったからと言って、「英霊」という言葉で処遇されればそれで良いというものではないでしょう。飢餓や伝染病、敗戦に伴う逃避行、シベリアなどでの抑留生活の中で亡くなった沢山の人たちはどう思うでしょう。生き残って深い心の傷を負った人たちは「英霊」の内にも入れてもらえません。

 

  あの戦争で命を奪われ、暮らしを踏みにじられたアジアの人たちには、どのような言葉をかけるのでしょうか。日本の起こした戦争の傷は、今もきっと私たちが想像する以上に深いに違いない。

 全国戦没者追悼式は「先の大戦における全戦没者に対し、国を挙げて追悼の誠をささげるため」の式典とされています。アジアをはじめとする外国の人たちは、その「全戦没者」という言葉に含まれているのでしょうか。含まれているとしても、そんなふうにひとくくりにされて、アジアの人たちは納得するのでしょうか。

 

 「感謝の言葉」を空襲や原爆、沖縄での地上戦で命を亡くした、あるいは体や心に深い傷を負った無数の非戦闘員にも言うことができるでしょうか。そもそも、そうした人たちのことが視野に入っているでしょうか1)2)

 歴史修正主義3)が、この国の人びとが犯した「加害」からも、受けた「被害」からも目を逸らすことを可能にしています。

 

 非戦闘員やアジアの人たちに向けることのできない言葉を、戦いで亡くなった軍人に向けることは軍人への冒瀆だと思います。                                                                                                                                    

 必要なのは感謝/哀悼ではなく「謝罪」しかありえません。戦争での死者を悼む言葉は「過ちは繰り返しません」以外にはなく、「過ち」を生み出してしまった歴史から目を逸らさず、過ちを繰り返さないように生きることでしか追悼はできないのです。それは、戦後生まれにとっても「関係ない」ことではありません。時間が経って「もう謝罪は十分した」と加害した者が言えることでもありません。

 

 「あの戦争で戦った人のお蔭で今日の日本の繁栄」を享受しているのだと思うのであれば、その「無念」の死に対して謝ることさえ不遜です。

(ここまでは〈2023.8.1「戦争での死者に謝るしかない」〉に書いたものに手を加えました)。 

 

 戦争体験者の言葉がこの時期には放送されます。でも、死者の思いは、もう聞くこともできません。「英霊に感謝する」人は、「英霊」「名も無き死者」の無念の思いも聞こうとはしません。「祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為」だという人は、この言葉が死者を冒瀆しているとは思わないのでしょう。

 

以下は、NHK映像の世紀/バタフライエフェクト 「史上最大の作戦 ノルマンディー上陸」2024.4.15から

 

ドイツのブラント元首相は終戦25周年の演説での言葉

「国民は自らの歴史を冷静に振り返る心構えが必要です。なぜなら過去を記憶する者だけが、現在を見極め、未来を見通すことができるからです。歴史との対話は特に若い世代にとって大切です。たとえ生まれる前の事だったとしても、引き継いだ歴史から誰も自由にはなれないのです。」

 

レオン・ゴーティエ(ノルマンディー上陸作戦に従事したフランス兵最後の生き残り)の言葉

「今こそ平和を守るために警戒せねばなりません。兵士は平和な時に奉仕できるほうがはるかに良いのです。私の言葉を信じてほしい。平和は素晴らしい。そして戦争は最大の不幸です。」

 

J.D.サリンジャー(ノルマンディー上陸作戦に参加し、ドイツ降伏まで戦い続けた/戦後PTSDを発症/『ライ麦畑でつかまえて』作者)は、ノルマンディー上陸の1ケ月後に発表した短編小説のなかで出征直前の兵士である主人公に語らせています。

「(第一次世界大戦の思い出を誇らしげに語る父親に対して)僕は戦争が終ったら、口を閉ざして絶対何も語らない。それがこの戦争に参加した全員の義務だと思う。死者を英雄にまつり上げては駄目なんだ。僕らが帰還して、ヒロイズムだのゴキブリだの塹壕だの血だのと話して書いて絵にして映画にしたら、次の世代は未来のヒトラーに従うことになるだろう。ドイツの若者がみんな暴力を軽蔑していたら、ヒトラーだって自分の野心を一人で温めるしかなかったんだから。」

 

1)「加害」と「被害」、謝罪の問題について加藤典洋さんが『敗戦後論』(講談社1997)で問題提起をし、議論が起きたことは記憶に新しい(けれど、もう25年以上も以前のことだ)。この加藤の問題提起について、最近では大澤真幸さんが論を深めています(『我々の死者と未来の他者 戦後日本人が失ったもの』集英社インターナショナル新書2024)。

 

2) 栗原貞子(広島で被爆した詩人)『ヒロシマというとき』

<ヒロシマ>といえば
<ああ、ヒロシマ>とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
    (略)
<ヒロシマ>といえば
<ああ、ヒロシマ>と
やさしいこたえがかえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない

 

3) 「恥の原因となる事象をあからさまに隠蔽したり、恥の場面で傍若無人に振る舞うことは、恥の上塗り」酒井直樹『ひきこもりの国民主義』岩波書店2017