眼科医院の外来は混んでいることが多く、眼科の医師は大変だろうなと思いました。

 小児科などと違い、一人一人の患者に対して眼底検査など神経を集中する診察をしなければならず、医師も目を酷使します。

 子どもも来れば、老人もきます(老人のほうが多い)。話の通じにくい人も少なくなさそう。いつも丁寧な対応を求めるほうが難しいかもしれないと思いながら、外来の様子を見ていました。

 

 2015年、千葉労災病院にコミュニケーションの講演でうかがった際、お招きいただいた眼科の先生から「患者さんに「お待たせしました」と必ず言うようにしたら、それだけでそれまで殺伐としていた外来の雰囲気がよくなった」と伺いました(千葉大学での私の講演を聞いてから、そう言うことを心がけたと言って下さいました)。

 さらに、「画面を見ると来院時間がわかるので「〇〇時から来ていただいているのに、こんな時間までお待たせして申しわけありません」と言ったところ、患者さんがとても感激してくれた」とも。

 あらためて、なにかその雰囲気が想像できる気がしました。

 

 「お待たせしました」は魔法の言葉です(〈2022.11.27「魔法の言葉」〉にも書きました)。医者が言うと効果が大きいところは少し癪ですが(看護師さんたちも言っているのに)。

  それに、「お待たせしました」と言うと、その後に続く言葉も自ずと柔らかくなります。それだけで患者さんはホッとします。それだけで事態は変わります。

 

 患者さんはほんとうに長い時間待っています。前回受診した日から次の受診日までずっと、不安な気持ちで待っています。体調の不具合を抱えながら、診察室に呼ばれるのを待っています。時間は時計とは別に伸び縮みし、待つ時間は長ーく伸びています(一日千秋という言葉は、その通りです)。「お待たせしました」という言葉がその思いに届いた時、患者さんはホッとします。 

 

 接遇をこまごまと指導することは、かえって良い接遇から遠ざかるかもしれません。私は、自分の本でも病院の「接遇マニュアル」でもこまごまと書いていますが、それはそれで仕方ないと思ってはいます。

 でも、最小限のことを守れば、それ以上ウダウダ言わなくても、後のことは自ずとついてくる。そのようなことに絞って伝えることが教育なのだと思います。(このことについては〈2023.6.6「引き算のカリキュラム/若い医師に伝えたいこと」2023.9.16「コミュニケーション教育再考(17)まとめ」〉に書きました。)

 

  医院では、スタッフも丁寧な対応をしているなと感心しました。高齢者が多いだけに、言葉遣いには気を遣っているのだろうとも感じました。

 ただ、患者が帰るときに、何人ものスタッフが「おだいじにどうぞ」、それも「ドーゾー」と棒読みのように言うのは、「どうしたもんかな」と思いながら聞いていました。特に「ドーゾー」が投げやりな(?)感じで。

 

 これは武蔵野でもしばしば耳にしていて、私はしばしば指摘していました。

 「よろしくドーゾー」と言う人も世間にはけっこういます(いつもこう言う事務職員と一緒に仕事をしたことがあり、とてもストレスだったが、この人は「親しさ」のつもりだったようだ)。

 でもやっぱり、それは軽いノリ、相手を軽く見る言葉です。「どうぞ、お大事になさってください」「どうぞよろしくお願いいたします」のような言い方とはずいぶん質の違う(ほとんど正反対の)言葉なので、私は言ったことがありません(私の“用語辞典”には無い言い方です)。

 

 こうして「言いたいこと」はなかなか減らせません、困ったものだ。