お茶の水にある“山の上ホテル”が、12日に休業しました(山の上ホテルについては、〈2022.7.24「誠意と真実」〉にも書きました)。大学病院に勤めているころには、近いのでしばしば訪れましたし、その後も誰かと待ち合わせするときにはロビーを使わせてもらい、泊ったこともあります(ルームサービスの“洋風おじや”がおいしかった)。

 

 ホテルの規模に比してたくさんのレストランがあったことでも有名でしたが、中でもフランス料理についていろいろ教えてもらった「ラヴィ」(“人生”“いのち”という店名が素敵だった)と天ぷらの「山の上」には何度も通いました。

 常盤新平さんの『山の上ホテル物語』(白水社2007)は、知っているスタッフのことも書かれていて面白かった。

 

 ウィリアム・メレル・ヴォーリスの設計した優美な意匠とあのホスピタリティが変わることなく再開されることを心待ちにしていますが、そんな日が来るにしても、それまで自分が生きていられるかは心もとないかぎり。

 

 

 群馬県で朝鮮人労働者の追悼碑が、乱暴に撤去されました。碑の表側には「記憶 反省 そして友好」と書かれているそうです。撤去に快哉を挙げている人たちもいますが、碑の破壊は「記憶」せず(過去の事実を否認し)、(否認しているのだから)「反省」もせず、「友好」の途を放棄することにつながる気がしました。

 

 土地を荒らされ、人の命が奪われ/損なわれ、その国のアイデンティティとプライドを踏みにじられた人たちの「思い」「心の傷」について、踏みにじったほうは鈍感であり(あるいは功罪の功の部分だけを見て)、勝手に水に流して(なかったことにして)しまいます。(〈2023.4.30「生きる権利と戦争」〉などに書きました。)

 

 ウクライナでロシアがしていることは、かつての日本の姿と二重写しになります(「違い」もたくさんありますが、本質的に共通する“構造”を見ることのほうが大切だと思います)。

 ウクライナの人たちはこの先何百年もロシアのことを「許せない」でしょうし「仲良く」なれないでしょう。朝鮮に限らずアジアの人たちの心の深層には同じような思いがまだ当分流れ続けているだろうということから目を逸らしてはいけないのだと思います。(〈2023.4.18「医療は人権を守る砦でなければ(2)謝れない人びと」〉などに書きました。)

 

 過去をしっかりと反省してきちんと謝罪する人は、かっこよく、気高い。個人の場合でも国家の場合でも同じです。その姿を見せることはこの国の誇りですし、「人間の尊厳」を教育することでもあります1)。そのような機会を放棄する言説や怒声が飛びかうのは残念だし悲しい。

 

 医療事故(事故には避けがたいものがあり、過誤はその一部です)が発生したときや患者さんとの間でトラブルが発生したときに、その解決のために医療メディエーションが行われるようになって15年くらい経ちます(コンフリクト・マネージメントとも言われます)。

 「医療メディエーションは,患者や家族,遺族らと医療者らの当事者間の対話を促進し,損なわれた信頼関係の回復と,相互の関係改善に資する場を提供する仕組みです(和田仁孝)」。

 

 「傾聴・共感・承認」「本当の想い、背景、価値観を知る」「事実確認と評価から問題解決へ」が基本です。事実を確認し(公表)、反省(原因の究明、再発防止策の検討)、そして関係改善 (友好)です。誠実で真摯な反省なしには事態の解決はできないし、信頼は生まれないのです。

 

 もちろん中心は患者さんなのですから、医療者主導ではありえません。患者さんと医療者との対話を仲介するのがメディエーター(仲介者)です2)。職員対象のメディエーション研修を武蔵野では毎年行っています。医師が研修を受けることで患者さんとのコンフリクトは少なくなっているようです。

 国と国との関係でも、基本は同じではないでしょうか。

 

1)人間の尊厳を学んだ人は、戦争で人を殺すことを「良し」としないでしょうし、国家や「偉い人」の言いなりにもならないでしょう。

 

2) 和田 仁孝・中西 淑美『 医療メディエーション―コンフリクト・マネジメントへのナラティヴ・アプローチ

 シーニュ2011  和田さんや中西さんにはたいへんお世話になりました。