いろいろ書いてきましたが、希望はあると信じています。

 

 年寄りの心配などと関係なく、患者さんとの深い付き合いを模索している若い医師たちもたくさんいますし、地域医療に飛び込んでいく医師もいます。

 どんなに制度に問題があっても、それを跳ね返していく意志とエネルギーを保ち続ける(いっそう燃え上がらせていく)力を若い人たちは持っています。その力を信じるところから教育は始まります。

 

 その思いが一番強いのは新人医師の時です。その時がいちばん望ましい状態であり、そこから徐々に(人によっては急速に)思いが薄れていきます。それは、患者さんに上から目線で接する日々によるためでもありますし、先輩医師の後ろ姿/指導によるためでもあります。若い人たちの初心を大切に見守ることが指導者のしごとです。(〈上手な話で伝わらないもの 2024.1.19~20〉に書きました)。

 

 患者さんにとっては、どうでしょうか。ピンチはチャンスでもあります。自分と関わる医者が増えた事態をチャンスととらえて、「言いたいこと」「希望」をいろんな人に言ってみることも可能です。「相手(の人柄)を見定める」ことは必要ですが、それは人間関係ではいつでもあることです。自分に合う人かどうかは、たいてい二言三言交わせば、おおよそは見当がつきます。

 

 病院管理上いろいろなことを言われるかもしれませんが、どの病院にも掲示してある「患者の権利」には「希望を言う権利がある」と書いてあるのですから。

 病気で本当につらい時には本人が言うことは難しいかもしれません。親しい人や職業的にケアする人が「代わりに」言うほうが良いことも少なくないでしょう(アドボカシーですね/私はカタカナ語が苦手なのであまり使わない言葉ですが)。

 

 患者さんが、医者と対決するということではありません。医者の人柄に向かって、「あなた(医者)だって、人間じゃないですか」1)と心の中で思いながら、声をかけるとでもいえばよいでしょうか。

 それでも、どんなにしても通じないことはあります。患者の言葉に耳を閉ざしてしまっている医者もいます。医師-患者の権威勾配がそんなふうに表れます。アドボカシーを行う人には「医者と対決する」覚悟も必要なのです(あからさまに対決するということではありません)。

 

 医療の足元が揺らいでいることは確かですが、だからこそ、そこにはきっと変革の芽があるのだと思います。

 

1)ずいぶん前のことですが、待合室に「医者も人間だ」と掲げている開業医がいると楽しそうに話す医者に呆れたことがあります(〈看守を育てている?(2/2)2023.6.3〉にも書きました)。当の医者は「無理難題を言うな」「いつでも対応できるわけではない(眠る時間も必要だ)」と言いたかったのでしょうが、この言葉を医者が言うのはどうかと思いました。

患者さんが優しく「医者も人間なのだから、無理しないで」と言ってくれることはあると思います。でも、「医者も人間ではないか」と言いたいのは、きっと患者さんのほうです。医者の言動に「同じ人間とは思えない」(いろいろな意味で)と感じ、「医者も人間なのだから、もう少し人間味のあることが言えないのか」と呆れ、「医者も普通の人間である部分から、普通の人間同士として接してほしい」と願う患者さんは少なくないのではないでしょうか。