そこに、「在院期間の短縮」というプレッシャーが迫ってきます。

高度急性期病院/地域医療支援病院は診療密度が高い治療に専念し、そこで必要な治療が終了後には別の病院(後方病院)に引き継ぐ(転院する)か「かかりつけ医や在宅医療中心として、時々、重症度に応じた病院への入院」という流れ。プレッシャーは、診療報酬や病院の認定という「外圧」です。

 

 患者さんから見れば、自分の人生が細切れにされて、処理されるような気がするのではないでしょうか。流れ作業に乗せられるかのようです。一つのステップを過ぎたと判断されると、「はい、次に行って」と押し出されます。「行きたくない」と言っても、制度を楯に「わがまま」として説得されます。

 

 治療を受ける施設が変わるたびに、(当然のことですが)接する医療者が次々に変わります。誰も「最初から最後まで、責任もってお世話します」とは言ってくれません。入院した日から、「ウチはここまでしかやりませんから」と言われてしまいます(言わないまでも、その雰囲気が滲み出ます)。そのような人と信頼関係を作ろうと思えるでしょうか。

 

 「いやな」医療者と出会っても、その付き合いを早々に切り上げられるというメリットもあるかもしれませんが、気を遣わなければならない医療者が増えるという負担が増すことは確かです。身体の具合が悪いのに、気を遣うべき人が増えるばかりです。気の合う人を選べる可能性は増えますが、その人がいざと言うときにそばに居てくれるとは限りません。

 

 転院ごとに「申し送り」はされるでしょう。でも、その申し送りはしばしば医学的なことに留まっています。どんな患者さんかということについて(患者さんの生き方、人生観、希望など)は、医療者の眼から見たものしか申し送られないことが少なくありません。

 医療者にとって「不都合なこと」(患者さんについての否定的な評価)は申し送られます。「好意的」な評価だって「物わかりが良い」「聞き分けが良い」「穏やかな」「受容している」と、医療者中心です。

 

 これからの医療についての希望は、医療者から「誘導」されたものも少なくありません(ACPはその典型です)。患者さんは「悪い評価」が申し送られているのではないかと疑心暗鬼になります(私の母は「気難しい患者」と申し送られていました/その通りだとも思いましたが)。

 

 「医学的なことは分かった、それで、この患者さんてどんな人?」ということが伝えられるでしょうか(〈「この人ってどんな人?」2023.10.9〉にも書きました)。

 

 そもそも、申し送りの内容が患者さんに開示されているでしょうか。「これで良いですか」と当の患者さんに相談されているでしょうか。