「「私のようなつまらない問題でも良いですか?」という質問に私は絶えず「あなたにとっては大事なことでしょう?」と返してきた。」(河野貴代美「フェミニストカウンセリング」臨床心理学 増刊15号 『あたらしいジェンダースタディーズ』金剛出版2023)

 

 医者は、このような言葉を「ぶつけて」もらえるところまで患者さんと付き合えていないことのほうがずっと多いのではないでしょうか。

 

 患者さんには、自分の聞きたいことが「つまらない」ことかどうかわからないこともあります。控えめに「つまらない」といっているだけかもしれません。

 「つまらない質問」と思われるかもしれないと恐れながら、自分の不安を、繰り返し(手を変え品を変え)質問していることはふつうのことでしょう。それでもなお、患者さんはたくさん言葉を控えています。「言い足りない」「聞き(訊き)足りない」思いに包まれています。

 

 質問しにくくなる壁を作るのは医者です

 「大丈夫ですよ(しか言わない)」

 「心配し過ぎですよ」

 「なんだ、そんなことですかぁ⤵・・・」

 「またですかぁ⤴」

 「だからぁ⤴、・・・」

 「前にも言いましたけどね、・・・」1)

 そんなふうに言わなくても、そう思っているなと感じてしまう表情(微表情)や仕草。

 

 「つまらないことだと思うのですが、質問してもよいですか」と言ってもらえるということは、それまでの付き合い/コミュニケーションが十分よかったことの証拠です。こう尋ねられて、「つまらないと思うのなら聞かなければ・・・」と言う人はいないはずです(そこからの会話のどこかで「どうして「つまらない」とおもったのですか?」と尋ねるようなことはあるかもしれません)。

 「あなたにとっては大事なことでしょう」と言わなくてもよいけれど、「そのことがご心配なんですね」「もう少しお話を伺わせてください」「もう少しお話しましょうね」と言えば、患者さんは少し落ち着いて話せるのではないでしょうか。

 

 ふだんから「何でも聞いてください」「何度でも説明しますから」と言ってもらえることで患者さんはホッとするでしょうが、それでも「何でも」「何度でも」患者さんは言えるわけではありません。どうしても言葉を控えてしまいます。そんなことにさえ気づかない医者が少なくありません。

 「どうしてちゃんと言わなかったの?」などと、まるで患者に非があるかのように医者は言いがちで、そんな医者は自分が周りの壁をますます高くしていることに気づいていません。

 

 「何でも聞いてください」「何度でも説明しますから」という言葉が心からものかどうか、その医者が本当に信じてよさそうな人なのかを、希望を伝えた時/質問をした時の医者の態度から判断します。

 ふだんから患者さんと接する態度にひっかかるものがあれば、それだけで口を噤む患者さんも少なくありません。自分の“期待”と反する反応が返ってきそうなのですから。

 知り合いの医師からの今年の年賀状に「昨年2回の入院生活を経験しました。患者になって、あらためて医療従事者は笑顔がなにより大事だと痛感しました」とありました。

 

 いつもの自分の雰囲気/言動が、壁を低くするようなものになっているかどうか振り返ってみることは、医療者に欠かせない条件だと思います。もちろんそのことは、壁の存在に気づき、壁を低くしたいと思わなければ始まらないことですが。(〈2023.10.12〉「言葉はズレる・再」にも書きました。)

 

 「困っている人の一番の困りごとは「助けて」といえないことです。」(大嶋栄子「居場所をめぐる問い」臨床心理学 増刊15号 『あたらしいジェンダースタディーズ』金剛出版2023)

 

1)何度も質問したら「あれだけ説明したのに、これ以上何を言えばよいのですか」と言う医者がいたとのことです。「あれだけ」の説明では足らないと言われており、「何を言うか」考えてほしいと言われていることに、あえて耳を塞いでいるのか全く鈍感なのか。説明が十分か否かを判断できるのは患者さんのほうなのに。求められているのは「(上からの)説明の言葉」ではないのではないでしょうか。