写真家でがん闘病((共存?)中の幡野広志さんが、26歳の癌患者の「これからどう生きるべきか」という問いへの答をツィッターに挙げています(2023.12.26)。そのまま引用してみます。

 

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これをいうと「そんなことができる人はいないよ」って友人の医師や看護師から怒られるんです。

なにかというと、ぼくはなるべくすべてを受け入れてます。これが怒られるんですよ。

受け入れようが、受け入れまいが現実はなにも変わりません。

健康になるわけでも健康だった過去に戻れるわけでもありません。

現実は変わらないけど、思考は変わります。

 

 ぼくにも悩みや苦しさはあるけど、誰にもしゃべりません。

妻にも息子にもいいません。

主治医にも看護師さんにもいいません。

友人にもいいません。

悩みをみせずにキラキラしたところだけを周囲に見せています。お葬式で「なんかたのしそうだったよね」と寿司をつつきながらみんなが話せると思うからです。

 

感情は伝染します。悲しみや不安は伝染するし、たのしさや笑顔も伝染します。

だったら笑顔を伝染させたほうがいいとぼくは思います。

不幸で苦労して闘病して、家族に感謝するお涙番組みたいな病人像はぼくはちょっと合わないんですよね。

 

それから他人に理解を期待しない。

他人の「わたしは理解できる」を信じない。

いまの自分の悩みを理解してくれる人は、いまの自分しかいません。

過去の自分や未来の自分ですら理解できないと思います。

 

「なんで私だけ」という考えは被害者意識に繋がるのでがんばって捨てる。

それから自ら進んでしあわせを掴みにいく。

しあわせは誰かが与えてくれるものじゃないんですよね。待ってても来てくれません。だから掴みにいきます。

 

悩みはあります。だけど、自分で解決するしかありません。責任をとれるのは自分だけ。一人のときに泣く。明るく振る舞う。 演技はできないので、明るくなるように楽しいことをする。あくまでぼくの場合です。だけど、それなりにメリットがある考え方だと思っています。大変だけどやるしかないでしょう。 写真やるのいいんじゃない。病気になって本気でずーーーっと思ってることは写真をやっててよかったということです。写真どんどん撮りましょう。

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 確かに、誰でもこんなふうには言えるわけではないでしょう。「わかって、わかって」と言い続ける人もいる。泣く人もいる。叫ぶ人も、周りに当たり散らす人もいる。

 でも、どの人の心の中にもきっとこのような思いが渦巻いているということを、医者は気づいているでしょうか。そこにある、他人と心を通わせることへの「絶望」としか言いようがないような感覚を感じとっているでしょうか。

 患者さんの「明るさ」「沈黙」に目が眩ませられていないでしょうか。それを良いことに、患者さんから遠ざかっていないでしょうか。