あるテレビドラマの感想ツイッターに「この主人公は、思いを心に秘めて口に出さない日本人の美徳1)を表している」と書いている人がいました。

 

 「思いを心に秘めて口に出さない」人がいるのは日本には限らないと思います。日本ではその傾向が強いかもしれませんし、患者になれば(どこの国の人も)その傾向は強くなってしまうかもしれませんが、それもきっとどこの国でも同じでしょう。

 

 「思いを心に秘めて口に出さない」ことを「美徳」と言ってしまうのは危険です。 「美徳」は「悪徳」と対の言葉です。「美徳」という言葉は、人にそのようなあり方を求める抑圧的な概念になります。美徳と言う時、そこには差別・見下しがあります。

 

 「良い患者」「模範患者」などという言葉が医療の場ではけっこう聞かれます。そのことを判断するのは医療者です。それはとても危険な振り分けです。病気になることで自分に収拾がつかなくなり(あるいは自分を確認するために/周囲の人との距離を測りたくなり)、思いを四方八方にぶつけるような人のことが「困った人」と言われがちです。患者さんが困っているのに、医療者の都合から評価されてしまいます。

 

 診察に来た医者に「先生、いつもありがとうございます」とニコニコあいさつした患者が、医者が出て行った後にその医者の「悪口」を言うことなど日常茶飯事でしょう。もともと、そんなところから患者-医師関係は始まっています。

 

 医療の場では、誰もが「思いを心に秘めて」います。その「辛さ」も患者さんは引き受けるしかありません。

 “謙譲の美徳”ではなく、「病気のことをはっきり言われるのが怖い」「きついことを言われたくない」「医療者に悪く思われるのが怖い」「問題患者と思われたくない」・・・、といった思いから言葉を控えることもあるでしょう。

 

 「訴えの多い患者」になりたくないので、自分の思いを遠回しに言ってみる人も、何も言わずに「わかってよ」と思っている人もいるでしょう。でも、「以心伝心」が苦手な医者は多いし、気づいても気づかないふりをしてしまう医者も少なくない。

 

 人は、どんな時も、思いをすべて話すことはありません(できません)。思いは次から次に湧きだしてくるのですから、いつも語らないことが山のように残ります。

 思いは、手持ちの言葉には入りきりません。

 思いがぐるぐる回って同じことばかり言っているように見える人もいますが、きっと同じ言葉に込められている思いはそのつど少しずつ違っています。

 いろいろなことを言い続けている人もいますが、本人はそれでもまだまだ「思いを心に秘めて」いるに違いありません。

 「心の奥に秘めて」医療者には見せたくない思いがあります(そこにこそ自分が息づきます)。

 

 「秘められた言葉」を聞き出さなければ、などと思う必要はありませんし、そんなふうに思うことは傲慢です。きっとそんな思いを抱えておられるのだろう、きっと語られない/語りきれない言葉があるのだろうと考えて、「模範患者」「良い患者」「美徳」などと評価的・価値判断的な言葉を言うことは避けたい。そのような言葉を言いたくなったら、その前に立ち止まって考えてみるだけでもつきあいは深まると思います。

 

1)「美しい国、日本」というような言葉も、だから危険です(ヘイトスピーチにもつながります)。