関東労災病院での講演では、「話しかける」ということについて何度か触れました。

 

 あわせて次のような言葉を紹介しました(このブログで、これまで何度か引用したものです)。

 先だって別の病院での講演の後で「どのように教育すればよいでしょうか」と質問されました。「ここまでそのお話をしてきたつもりですけど」と思ったのですが、きっと話が簡潔でなかったのだと反省して、あらたにまとめのスライドを作り、これらの言葉を紹介することにしました。

 

 「誰かに本気で興味をもったら、人は自動的にコミュニケーション能力がアップする。それがどんなに辿々しい言葉でも、思いは確実に伝わる。」(雨宮処凛『仔猫の肉球』小学館2015)

 

 「他者への興味は愛に根ざし、愛が湧かない対象には興味も生まれない。」(福岡大学小児科 廣瀬伸一名誉教授『チャイルド ヘルス』Vol 19.9 2016.9)

 

 「人はどれほどわかりにくいメッセージであってもそこに自分に対する敬意が含まれているならば、最大限の注意をそこに向け、聴き取り、理解しようと努める。だから、もしあなたが呑み込むことのむずかしいメッセージを誰かに届けようと願うなら、深い敬意をこめてそれを発信しなさい。」(内田樹『呪いの時代』新潮社2011)

 

 患者さんへの敬意とは、病いという人生の荒波に翻弄されながらも一人で立ち向かっていることへの敬意です。患者さんのことについて「・・・させる」と言ってしまうような「上からの目線」で見ている限り、敬意は無限に遠ざかります。(「させる」については〈2022.8.13〉に書きました。)

 

 こうした普段使いの言葉でコミュニケーションやケアについて語っていきたい。伝えたいことを出来るだけ少なく、簡潔なものにしたい。医学の勉強に忙しい人たちの負荷をできるだけ減らしたい。こうしたことにさえ気を配ってくれれば、「自動的にコミュニケーション能力がアップする」と言いたい。

 

 こんな言い方をすると「エビデンスがあるか」などと言う人が必ず出てきますが、自分の生き方/どうしても伝えたい思いはエビデンスに納まりきれないものだと思います1)。そういうエビデンスを作ってみるという姿勢もあると思います。

 

 ノスタルジック・プロフェッショナリズムと言う人もいるかもしれません(〈2023.10.21〉に書きました)。でも、ノスタルジックと言われるものの中にこそ、この国の伝統が息づいており、人間の心の深層まで下りていくことを可能にしてくれるものがあるのではないでしょうか。そこから始めなければ、どんなにカリキュラムが立派なものであっても、聞く人の心には届かない(ことばが肩に届かない)のだと思います。ノスタルジックという言葉を、そんなに貶めないでほしい。

 

1)コミニュケーションについて、エビデンスから書かれている本もあります(が、たいしたエビデンスとは言えないと思う)。でも、「「あなたにしかわからない」という個人の経験も重要だし、「個人の意見だから正しくない」わけでもありません。」松村一志「科学にもグラデーション」朝日新聞 耕論「エビデンスに囲まれて」2023.12.7朝刊