マリは、激しい悪痛で入院した。大量の腹水を抜いてみたところ、大きな卵巣腫瘍が見つかった。外科の若い医師に「1年くらいしかもたないでしょう※1」と言われてあわてたのか、母親は中学1年生のマリに『あんた、癌なんだってよ』と言ってしまった、

 僕はことさらに彼女に病気のことを言わなかったが※2、後になって「私の病気、大変な病気だったの?」と彼女が訊いてきた時には、「うん、あんな病気でこんなに元気になるのは珍しいから、君は運が良かったんだよ」と答えた。

 

 「一緒に遊んでいた、イトスギ(院内学級のこと)行っている子どもたちが次々いなくなっちゃうじゃない。ケンジ君がそうだったし、アキコちゃんがそうだったでしょう。受け持ちはみんな日下先生なんだから、なんかわかるわよね。みんな髪の毛が抜けるしね。とにかくいやーな気分だった。『ケンジ君どうしてるのって聞いた時、先生が言葉を濁したでしょう。それで『ああ、やっぱりそうか』なんて思ったりしたわ」と、社会人になってからの彼女が言った。

 

 入院中(強化療法の為、何度も入院を繰り返した)のあるとき、彼女は何人かの子どもたちと病院内を探検して、霊安室まで行ってしまい、みんなをあわてさせた。

 病名を知ってはいなくとも、どんな病気であっても、病気になるということは“霊安室”に近づくことだし、どんなにきれいな病院にも霊安室の影は寄り添ってくる。エレベータの中に掲示されている各階案内にさりげなく書かれた霊安室の文字を見る時、病院がどういうところかを僕たちはあらためて思い出す。

 

 入院することで、彼女はもう何度も死の影に接近遭遇してしまい、心は何度も霊安室の近くまで行っていたに違いない。そして、こどもたちは、「やさしく」そのことをオトナに気づかれないようにしている。

 

※1 この予測は外れて、彼女はその後ずっと元気で、母親になり、今も年賀状のやり取りが続いている。

 

※2 まだそんな時代だった。とはいえ、次に入院した小学校6年生の子どもからは、病気について詳しく説明するようになった(病名については、そのまま言うことも別の病名を言うこともあった)。