中井久夫さんは、ドレイファス兄弟の提唱する技能習得モデルについて、医者は知らないと「嘆いて」おられました。ドレイファス兄弟は、人工頭脳は第3段階までしかやれないとしているそうです(医学界新聞2001年4月16日)


(1)第1段階(ビギナー):「文脈不要の要素よりなる、文脈不要の規則に従うスキル」である。自動車運転でいえば、アクセルとブレーキ、ギアの入れ換えの規則である。この規則は、文脈(コンテクスト,前後関係)によって変わらない(コンテクスト・フリー)。
 

(2)第2段階(中級者):「状況依存(コンテクスト・デペンデント)の要素」を加えた規則に従うスキルである。雨に濡れた路面を夕方走るときにはどうするか、といったスキルである。
 

(3)第3段階(上級者):熟練が進んで、要素の数がミラーの法則をこえて増したときに、これに優先順位をつける能力を加えたスキルである。すなわち、状況をつくっている要素を組織し、目的を明確に意識して、優先順位に従って、これを処理するスキルである。
 

(4)第4段階(プロフェッショナル):直感的に全体が見え、将来が見通せ、タイミングを選んで、最良のときに、最善の方法で対処できるスキルである。これは過去の経験の蓄積をからだが覚えていることである。運転でいえば、とっさの状況にたいしてからだが動いて危険を回避するように処理できるスキルである。とっさの状況が解消すれば、第3段階に戻って的確に処理できる。コンピュータ化された航空機でいえば、自動操縦装置が任務を放棄する状況である。とっさに手動に切り換えて、危機を脱しなければならない。

 
(5)第5段階(エキスパート)1):この段階では、スキルは身について、意識的に判断しなくなる。運転でいえば、車と一体になり、車を動かしているのではなく車幅感覚をもって自分が移動しているという状態である。歩行ではほとんどの人がこの状態に達している。このときには流れに乗っている(フロウ)という感覚と、乗馬で「鞍上人なく,鞍下馬なし」といわれる無我の状態に達している。日本では、技能者に「何々の神様」といわれる人がたくさんいるが、そういう人の境地である。

 

 学生がOSCEでできるのは第2段階あたりまでです。AIができない第4、5段階について、教える側が伝えようとすることこそが教育です。

 

 学会の別のセッションで聖隷福祉事業団顧問の清水貴子さんが、「会場に来るバスの中で、3人の高齢の女性が「今の医者は身体に触らない。昔は手当てという言葉があったのに・・・」(京言葉だったのでしょうが)と話している言葉に、耳が痛かった」という体験で話を締め、会場から大きな拍手が沸き起こっていたことに、やっと救いを感じました。この話を「AIがあれば模擬患者は要らない」と言っていた人は聞いてくれたでしょうか。

 

1)ここでは、プロフェッショナルよりエキスパートが上位に置かれています。医学教育の世界ではエキスパートよりもプロフェッショナルを「上」に置く論調が多いのですが、プロフェッショナリズムは意識して求めていくものであり、エキスパートは習慣化・自動化された無意識のものであるとしたら、エキスパートのほうが上位の段階だと思います。エキスパート以外の段階では、直観より論理的思考を優先すべきであると言われています。